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象徴って?

 表紙?の絵はオディロン・ルドンの絵画になる。作曲家の武満徹が確か、この絵画の影響を受けて「開かれた耳」とアイディアを得ていたような気がした…。勘違いであったら恐縮である。

 1889年2月11日に公布された明治憲法で主権者とされた天皇は、1946年11月3日、日本国憲法の交付によって象徴とされることになった。その間、57年9ヶ月足らずだったことになる。以来、77年が経過した。アジアで最初に憲法を作ったのはトルコであったと昔学んだ覚えがある。東京外国語大学などのホームページによれば、オスマン帝国の下で19世紀末に誕生(1876年通称ミドハド憲法)したらしく、その後ムスタファ・ケマル(別名ケマル・アタチュルク)を初代大統領として共和国に変化してゆく。憲法も改正等なされたようだ。

 象徴となった現在の天皇は、天皇を含めて17人の皇室によって、上皇、上皇后を除く15人の皇族によって構成され支えられている。正確ではないかもしれないが、2024年3月4日現在、皇族の平均年齢55歳程度のようである。5分の4は敗戦後の生まれが占めている。真偽は定かではないものの、1945年9月2日の重光葵全権大使による降伏文書の調印から約14ヶ月後に公布された日本国憲法には、昭和天皇及び皇室の存続の命運がかかっていたのだと思う。

 近代立憲主義の観点から、日本国憲法を今後改正することを検討するならば、敗戦を契機として国家の象徴として、憲法で「第一章 天皇 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と定められたものを、「第一条 天皇は日本国民とする。天皇は日本国の歴史及び文化の継承者として、この地位は皇室典範を継承する法に基づき継承される。天皇及び旧皇室の構成員は、国民としてすべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が保証する自由及び権利は、不断の努力によって保持しなければならず、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と…適当に考えた一案に過ぎないが、この程度に憲法改正を検討することはあってもよいのではないだろうか。

 仮に上述のような憲法改正を国民的な合意の下で目指すことがあったなら、日本国憲法の公布から一世紀を迎えるにあたって、それは本来の立法府の仕事に他ならないだろう。もちろん、反対の世論も間違いなく存在するだろうし、与党議員裏金問題が耳目を集める中では、次年度の予算案の成立が…それは間違いなく立法府の重要な役割に違いはないが…立法府の役割と考えられても仕方ないのかもしれないが、立法府の役割がそれに留まるとしたら深慮遠謀に欠けるだろう。こうしたことが妄想に留まるのならば、現実に起きていることのほうに問題があるのかもしれない。

 昨年10月7日に、パレスチナのハマスによるイスラエルのテロ攻撃が始まって、これまでもイスラエルによるパレスチナ自治区への軍事介入は、イスラエル建国以降続いてきたのだろうけれど、すでにパレスチナ側の死者は3万人を超えたことが伝えられる。イスラエル建国によってパレスチナの人々は住居を追われ、このときにもイスラエルから武力による殺戮が行われて、パレスチナの民族浄化、日本の帝国陸軍が南京で起こしたような虐殺が行なわれたことが伝えられている。(イラン・パペ「パレスチナの民族浄化ーイスラエル建国の暴力」法政大学出版局、2017年)

 「戦後政治と温泉 箱根、伊豆に出現した濃密な政治空間」原武史(中央公論新社)を少し読み齧ってみると、自民党結党と直前の1955年の夏に、公職追放を解かれ、政界に復帰した重光葵が軽井沢、那須、箱根の避暑地に鳩山一郎、昭和天皇、吉田茂を訪ねたことが紹介されている。現在からは考えられないが、敗戦後10年頃の総理大臣は国会を離れ、避暑地に押しかける政治記者に対応して政を担っていたのだという。批判されても仕方ないと思われるようなことも、かつては当然のように社会的に受け入れられていたのだろう。

 世の中の常識は変わってゆくということかもしれない。憲法の平和主義も、これまでは認められてこなかった反撃能力が明記され、武器の購入も経済の安全保障とか唱えて容認されてゆくかのようである。兵器の製造等も今後は可能となるような体制が認められてゆくこともあるのかもしれない。しかし、現在の政治状況でそれが進められてゆくことには警戒しておきたいものである。安倍内閣の下で立法化された平和関連ニ法は、一度廃止した上で、憲法9条の改正によって、国連憲章との整合性の下で、集団的自衛権の行使については明確に限定した上で、日米首脳の決断によって合意された普天間基地の返還が四半世紀経過しても実現せず、辺野古移転のための工事が代執行される現実を踏まえ、国内からの米軍基地等の外国の軍隊は撤退させることを憲法で明記しておくことも必要なことに思えてくる。

 象徴としての天皇とは、君臨すれども統治せずと言った存在だったのかもしれないが、戦後の昭和天皇は現実にはそれを逸脱していた可能性も指摘されているようだ。曖昧な日本の象徴は、寧ろ国民として統合され、その上で歴史や文化を継承する存在として、存続する未来を検討する時期を迎えているのではないだろうか…。

 

 

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