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短編小説|INTERMISSION

 長い映画と同じで、長い人生にもインターミッションが必要だった。インターミッション者を満載した大型バスが、街のターミナルにたどり着いた。「ようこそ、幕間の時間へ」そんな文句の書かれた横断幕が掲げられているのを、トウジは車窓から眺めた。今までせわしなく何かが映っていたスクリーンが真っ黒になって、観るべきものがなくなったような日々が始まった。
 
 実際の映画の場合、インターミッションの間にすることといえば、トイレに行くとか、ドリンクを買い足しに行くとか、煙草を吸うとか。でも人生は映画よりはるかに長く、したがって人生のインターミッションではより多くのことができる。各地から集められたインターミッション者は、この街の中で自由に過ごすことになっていた。

 海辺の一帯にひらかれた小さな街は、全体がインターミッション者専用の保養地になっていた。一人につき一軒割り当てられるヴィラ風の家々が海から内陸へ向かうゆるやかな斜面に立ち並び、カフェやレストラン、ナイトクラブやサーフショップなどが海辺を走る道路に沿って点在していた。打ち寄せる波とともに、海からは涼しい風が吹いて椰子の木々を揺らし心地よい夏を演出。完璧なヴァケーションといって過言ではない風景が広がっていた。夕陽が海に沈んでいくのを眺める時間は毎日たっぷりあって、太陽が水平線と混じりあって暗闇が訪れると、はるか遠く海上の真っ暗な夜空をスクリーンにして巨大な「INTERMISSION」という白い文字が浮かび上がるのを、街のどこからでも見ることができた。しゃれた演出だ、とトウジは思った。

 はじめの二、三日、トウジは海辺を散歩した。カフェに行って、何冊も持ち込んでいた、買うだけ買って手を付けていなかった本を開き、ゆっくりとページをめくった。けれど、人間はどんなときでも何かやるべきことがほしくなるようで、カフェに置いてあったチラシで知った、サーフィン教室の初心者クラスに参加することにした。サーフィンをやったことはなかったし、興味もなかった。興味がないことに手を出すほど時間と精神に余裕があった。

 そうして、ボードをレンタルして波打ち際に出かけて行った。日焼けした筋肉質のコーチがやってきて、トウジを含めて六人の参加者に向かって挨拶をした。トウジは自分が場違いなところに来てしまった気がして、憂鬱な気分になった。それで結局、トウジだけ波に乗れなかった。他の参加者が一人、また一人と波をつかまえるコツをつかんでいくのを横目に、ボードをほっぽり出して浅瀬でちゃぷちゃぷと水遊びをしていた。その時、同じ初心者クラスの一員ではあるが、さっそうと波を乗りこなして戻ってきた若い女と目が合った。カナリヤ色の水着が、参加者の中でもひときわ目立った。「教えてあげましょうか?」彼女はいう。

 彼女は名前をハルといって、他の参加者につきっきりで指導しているコーチに代わって、トウジにサーフィンを教えてくれる。最終的に、トウジは一度も波に乗れずに終わる。けれど、彼女とかなり親しくなれたと思った。お礼に、といってトウジは彼女をその日の夕食に誘った。夕陽がよく見えるレストランのテラス席でシーフードを注文する。トロピカル調のシティ・ポップがスピーカから響き、乾いたギターのカッティングの音は時折、昼の暑さの名残とともに風にかき消される。

 彼女はコンサルティング会社で働く会社員だ。担当していた大きな案件が終わって一息つきたかった時にインターミッションの通知が来てちょうどよかった、とここに来た経緯を説明した。「コンサルティング」という言葉が似あう、仕事ができそうな筋の通った顔立ちをしている、とトウジは思う。「この前まで死ぬほど働いてたのが嘘みたい」と彼女がいうと、トウジもうなずいて、自分も同じようなものだという。彼は自分がプログラマーで、毎日ディスプレイを見つめるのが嫌になっていた頃、ちょうど通知が来たのだ、と説明した。

 いい出したのはハルの方だったが、トウジも乗り気だった。ハルはトウジのヴィラに寄っていくことになる。彼女をヴィラに招き入れると、トウジはその内部を一部屋ずつ、自分の家であるかのように得意げに紹介する。「わたしも同じ間取りの建物に住んでるのよ」と彼女にいわれて、恥ずかしくなる。考えてみれば海辺に並んでいるヴィラは外見もそっくり同じものだから、間取りも一緒だろう。恥ずかしさを紛らわそうとして、トウジはリビングルームの窓辺に備え付けられたテーブルまで空の灰皿を持って行くと、窓を開けて椅子に腰かけ、煙草を一本取り出して火をつける。海に面した窓から、潮の香りをした空気が部屋の中に入ってきて煙草の煙がどこかへ流れていく。波の音がゆったりとしたリズムを繰り返す。そして窓の外には、『INTERMISSION』の文字がいつもと同じように輝いている。

「わたしにも一本ちょうだい」とハルがいう。
「煙草、吸うんだ」そういって、トウジは煙草を差し出す。
 
 彼女もテーブルの向かい側に腰かける。トウジから受け取った煙草に火をつけて軽く吸って煙を吐くと、窓の外に目をやる。つられて、トウジも窓の外を見る。暗い海に、一筋の光が滑っていく。灯台の光だ。彼女もそれを見たのだろうか。自分の吐いた煙草の煙を見ていたのかもしれなかった。彼女は脚を組む。海の方を見たまま話し出す。
「わたしがまだ小学生だった頃、こんな海辺の街に親が別荘を持ってた。毎年夏にはそこで暮らしてたの」
「すごいね。別荘を持ってるなんて」
「テレサっていう名前のボーダーコリー犬を飼ってた。ある日その子が散歩中に逃げ出して、わたしは街中を探して回った」
「その犬は見つかったの?」
「いくら探してもテレサは見つからなかった。わたしは途方に暮れて、砂浜に座りこんでずっと海を見つめていた」
そして、彼女はこう付け加えた。
「その時が最後だったの。このインターミッションに入るまでに、わたしの人生の中で何時間も海を見つめたのは」
彼女はトウジの方に顔を向けていう。
「あなたの人生で、最後に海を見つめたのはいつ?」

 トウジはここに来るまで、海を見つめたことがなかった。インターミッションに入るまで、彼の人生にそんな時間は一度もなかった。空を見つめたことも、山を見つめたこともなかった。だから、どんな言葉を返していいかわからない。「よく、覚えてないな」そういって、トウジはまた窓の外を見る。彼女は話さなかった。二人の間に沈黙が訪れる。トウジは何か話すべきことを探す。何も見つからない。話が上手い方ではない。だから、たびたび彼と他者との間に訪れる沈黙を、必要以上に恐れた。

 暗闇に沈んだ海は、泣きたくなるほど膨大な水量を感じさせながら、街のすぐそこまで迫っている。海の近くに住んだことのないトウジは、この街にやって来てすぐに、海が傍にあるというだけで感じる根源的な恐怖に気づいて驚いた。だがこの時、トウジは海を見つめるほどに不思議な心地よさが広がるのを感じた。沈黙が海を支配していた。海はどこまでいっても海だった。その無類の広大さに対してあまりに情報に乏しい。人間の都合と関係なく、ただ地表を占有する。彼と彼女の間に広がる沈黙。街のどこか遠くで流れているダンス音楽がかすかに聞こえるほど、部屋は静かだった。

 トウジは言葉を探すことをやめる。この沈黙も、心地よいものだと気づいていた。ハルも心地よく思っているのだろうか。その時、海上の『INTERMISSION』の文字が発する白い光がふっと陰ったような気がして、トウジは驚く。彼女の方に向き直る。目が合う。はじめて見つめる彼女の瞳。トウジの目をじっと、強く見返している。
「わたし、ここから逃げ出すのよ」無表情のまま、唐突に彼女がいう。
「ここって、この街から?」
「この街からでもあり、インターミッションという制度や、それをわたしたちに押し付ける構造そのものから、という意味」
「インターミッションから逃げ出す?」
「精神的な亡命よ。そしてそれは物理的でもあるの」
彼女は灰皿に煙草をこすりつけて消す。再びトウジの目を見る。
「インターミッション通知が来たとき自分なりに調べて理解した。どうして人生の中にインターミッションが組み込まれているのか。それはわたしたちの人生がそれぞれ一本の映画だから。映画の本編があるからインターミッションがある。そうでしょう?」
ハルはトウジの煙草を勝手にもう一本抜き取って火をつけた。
「インターミッションっていうのは比喩だよ。政府の、気の利いたつもりのセンスのないネーミングだ」トウジがいう。
「いいえ。インターミッションだからインターミッションという名前がついているの。名前が存在を規定するの」
そういって、彼女は語りだす。
「わたしたちの人生は映画。ここに来る前の生活を思い出してみて。働くこと、休むこと、食べること、歩くこと、愛すること、暮らすこと、話すこと、見ること。すべての要素に意味があり、意味があるシーンの連続でわたしたちの人生はできている。そして、意味がありすぎたために、わたしたちの脳は最初から最後まで通して経験することに耐えられなくなった。そこで導入されたのがインターミッションよ」
彼女は灰皿に灰を落とす。
「だからインターミッションが終わって再び本編に戻ったら、海を見ている時間なんてないの。意味のあるシーンの連続がわたしたちを待ってるから。でも、もう疲れた。二度と戻りたくない」
トウジは黙って聞いていた。彼女のいうことが理解できない。人生が一本の映画などということはあり得るのだろうか。スクリーンに映し出され、観客に見守られる、三幕構成の、意味にあふれた画面の連続。それが彼の人生だということは。

 彼女は静かに立ち上がると、テーブルに置かれたトウジの手に、そっと自分の手を重ねる。「あなたも逃げ出すのよ。このくだらない映画から」
「冗談だろ? どちらにしろ、ぼくはここから逃げ出したりはしないよ」
トウジはハルの手のひらの生暖かさに気を取られる。それでも、もうこの女と関わり合いになるのはやめた方がいいと思った。
「なにをいっているの。あなたは人質よ。これはお願いじゃなくて命令だって気づかせなきゃならないのね」彼女は吸っていた煙草の先をトウジの手の甲にこすりつけた。

 飛び上がって、椅子から転げ落ちるトウジ。トウジを見下すハル。手には銃が握られて、トウジに向かって突き付けるシルエットが、灯りのともった窓に映る。ヴィラの白い壁と調和した、屋根や柱。芝生の庭。道路際に並ぶ椰子の木々。複製であるかのような隣のヴィラも、その隣のヴィラも寝静まっているが、まだ眠らずに夜を楽しんでいるインターミッション者たちのヴィラの灯りがぽつぽつと見えて、街は宝石店のショーウィンドーのように輝いていた。そして、街のすぐそこまで迫る、暗く静かな海。
 
 けたたましいモーター音を立てて、ボートは波を切って進んでいた。トウジはぼんやりと、街の輝きが遠ざかっていくのを見る。彼はボートの後部に突き立てられたポールに、進行方向とは逆向きで縛りつけられていた。手の甲が痛む。先ほどまでの心地よい沈黙が嘘のようだ。急転する事態についていけない。ボートを運転するのはハル。彼女に銃で脅されたままボートに乗り込まされ、縛られた。

「ここに来る前、ある団体と接触を持った。わたしのように人生が映画だと気づいた人たちの団体。そして、脱出方法を教わった」彼女はモーターの音に負けないように叫んだ。
「保養地の沖合に、定期的に映画の外からの救助船が来る。脱出した人たちを乗せて、外の世界に連れて行ってくれるの」

 突然、遠くで唸るようなサイレンが鳴りだす。街にぽつぽつと灯りが増え始めて、やがて街はスパンコールみたいにグロテスクな輝きであふれた。暗い海面を突如として照らし出したサーチライトの光が、トウジの顔に重なり視界を奪ってすぐに去っていく。「追われてるぞ!」彼は叫んだ。何艘かのボートが、彼らのボートめがけて迫っていた。

 「大丈夫。あなたは銃撃を避けるための人質よ」ハルがそういう。
追っ手は発砲をはじめた。彼のことは避けているらしいが、当たらない保証がない。何発かボートに着弾したのか、鈍い音がしてトウジは恐ろしくなって縄をほどこうと身をよじった。彼女は舌打ちをして、急ハンドルを切って方向転換した。すぐ前方にあちこちに岩が付きだしている海域が迫っていた。彼女はやけに熟練した手際で岩を的確によけていった。機械的で洗練された、美しいハンドルさばき。やがて、少し遠くで何かが大破する音がした。
「やつらのボートが暗礁にのりあげたの」余裕を取り戻した口調で彼女がいう。
「ここら辺は岩が多い。事前に調査済み」
他の追っ手も追跡をあきらめたのか、ボートは見えなくなっていた。彼女はトウジを縛っていたロープをほどいてくれる。

 あたりは静かで、ボートが水をかき分ける音だけが聞こえる。トウジはボートの隅に座り込んでいた。ハルはトウジにこれ以上危害を加えるつもりはないらしかった。振り返ると、街は一つのぼんやりとした灯りになって遠ざかっていった。前方に「INTERMISSION」の巨大な文字が、もう一目で単語が読めないくらいに近づいている。ハルとトウジはある種の緊張感をもって、巨大な文字に近づいて行った。ハルがハンドルを切って、進行方向を調節した。「INTERMISSION」の「N」と「T」の間、「T」の横棒の下あたりを通過するらしかった。トウジは、その文字列の中で「N」と「T」の間を通過することに、妙に納得していた。自分でもそうしただろう。ただ、その共感をハルに伝えられるほどの勇気はなかった。

 ボートはゆっくりと「N」と「T」の間を通過する。トウジは「INTERMISSION」が何かスクリーンのようなものに映し出された、実体のない映像だと考えていた。しかし、近づいてみるとそれははっきりとした物質で、白く傷のないなめらかな表面をした巨大なアルファベットが、海上に浮かんでいた。トウジはボートから手を伸ばして「N」の側面に触れた。無機質な手触りだが、人の体温と同じくらい温かい。向こう側からも、何かがトウジの手に触れようとしているような気がした。ハルはそれをじっと見ていたが、何もいわなかった。「INTERMISSION」は逆さになって、背後に遠ざかっていった。

 ハルがボートを停めてしばらくたつ。夜が明けてきたが、あたりは霧に包まれてぼんやりと白く、視界はないに等しかった。ハルは時々操縦席の計器を確認するだけで、ボートを動かそうとしない。おそらく目的の地点にいるのだろう。太陽が昇りきっても、霧は晴れなかった。街はもうどこにも見えず、彼にはどうすることもできない圧倒的な量の水が四方に広がっている。これから何が起こるのかわからなかった。ハルのいうことは、どこまで真実なのだろうか。すべてが彼女の妄想なのかもしれなかった。だが、そんな状況にあっても、トウジはどこか落ち着いていた。ハルもトウジも沈黙していた。昨晩と同じように。そして、二人とも海を見つめていた。
「ぼく、君と出会ってから、沈黙が心地よいと知ったよ」彼はつぶやいた。
ハルは彼の方を見ると、無言で水の入ったボトルを差し出した。トウジは水を飲んだ。

 しばらくしてその沈黙を終わらせたのは、大な機械がきしみながら動いているような音だった。霧のために姿は見えなかったが、何かが次第にボートの方へ近づいてくるようだ。ハルははっとして立ち上がった。そして、それは突然、姿を現した。はじめ、トウジは目の前に巨大な壁が広がっているように思った。どこかの港に到着したかと見まがう、巨大な構造物。だが、それはゆっくりと海を移動していく。船なのだろう。その船に向かって、ハルは嬉しそうに、そして必死に叫びながら手を振った。彼女のいう救助船なのだ。

 船の上の、甲板のような開けた場所に、何か動くものがあった。よく見ると、それは黒い犬だった。彼女は手を振るのをやめる。「テレサ」とつぶやくのを、トウジは聞いた。テレサもハルとトウジに気づいたようで、こちらに向かって鼻をひくひくとさせた後、口を開き、はっきりとよく通る声でいった。

「お疲れ様。もうエンドマークだよ」

 いつの間にか霧は晴れていた。テレサが鼻先で示す方をハルとトウジは同時に振り返る。反転した「INTERMISSION」の文字が、遠くに薄くぼんやりと輝いていた。

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