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道化師と少年

 少年と道化師がいた。陽の光が暖かい光が射す、森の中だった。少年は道化師に話しかけた。道化師はうなずくだけだった。
「あいつら最低なんだ、おれの教科書をゴミ箱に突っ込みやがった」
「・・・」
「昼間もうんざりだった。体操服を埃まみれの倉庫に投げ込んだあげく、宝探しみたいに遊びやがって。」
道化師はのそのそ立ちあがって切り株に立てかけたギターをもった。少年は泥がはねた中学生用のバッグを膝に抱いて、ただ道化師を待っていた。
道化師はこちらをちら、と振り返ってから背を向けて、慣れた手つきで弦を弾いた。
「しってるよ、この綺麗な曲。音楽室でよく流れてるんだ。確か名前は・・」
数秒考えたそぶりを見せた少年は、まあいいやと草原に寝転がり空を見上げた。雲一つある、くらいの中途半端な空だった。

 少年と道化師が出会ったのはほんの数か月前のことだった。一本道を抜けたこの小さな広場のような森の中だった。その日も道化師は一言も発しなかった。
少年は一方的に喋ることに満足していて、道化師はまんざらでもないのだろう、と少年はそう思っていたから二人のこの空気には何ら問題はなかった。
学校でのいじめが一層ひどくなってきて、ただの物心で少年は道化師に愚痴を吐いた。道化師は決まって無言で話を最後まで聞き終える前にギターを弾き始めるのであった。


 いじめが始まったのはずいぶん前からで、理由はただ少年が演劇部であったというだけだった。少年は演劇の熱に魅せられ、後先考えずにその部に入部した。1年生のころだった。しかし、心を奪った先輩はすぐに引退してしまい。結局少年はひとりで演劇部に居座っていた。

 最初はいじられるというだけだった。次第に荒っぽい二人組に目を付けられそれはいじめになった。そして二人組が演劇部の部室に居座るようになってから、さらにエスカレートしていった。3年に上がるまでの冬が重く、長く感じられた。冬を超えるころには蹴られたり、殴られたりもされ始めるようになった。暖かい季節が来ても、少年の顔は暗いままだった。

 少年は道化師に会いに行く頻度が増えた。いつもそこにいるという保証は何もなかったが、いつも先に道化師は座っていた。大抵の生徒の通学路とは反対方向の小道を上ったところに少年と道化師の場所はあった。少年は泣かなかった。語気を強くして怒鳴るように話すときもあれば、吐き捨てるように言葉を並べるときもあった。しかし、彼は決して泣くことはなかった。


 春の光に少し暑さを覚えるようになったある日、少年は耐えられなくなった。いつも通りに生徒の流れを逆に歩いて森に行くとやはり道化師がいた。かばんを草むらに放って少年は言った。
「あいつら、早く消えちまえばいいのに。」
道化師はうなずくこともなく少年の目を見ていた。仮面とはわかっていても笑われているような気がして、少年は気分が悪かった。本当はわかっていた。なんで反抗しないのか、大人に言えばすぐに解決する話じゃないか。しかしそれだけは、彼には我慢ならなかった。他の手を借りることが負けだとかそういう意地とかではなくて、自分は何も悪くないのになぜ僕が行動を起こさなくてはならないのか、という気持ちからだった。気づくと道化師の面が横にあった。少年は目をそらした。
「ねえ、何が一番の仕返しになるかな?」
「・・・。」
「なんてね、やり返すなんて性に合わないし。まあなるようにはなる、かな。わっかんないけど。」
「やってみる?」
「・・・え?」
覆面の奥から確かに声がした。少年はただ、表情のない笑顔を見つめていた。道化師はギターを置き、そして覆面をゆっくりとはがした。

「おい」
声をかけらる前に気付いてはいたが、あの二人組にまた絡まれた。今日はもう終わったはずなのにまだ飽き足りないのだろうか。
「お前だろ、これ」
半ば強引に下駄箱を覗かされると、中に何やら入っているのが目に入った。
「ピエロの・・仮面?」
「いっちょ前に演技してんじゃねぇよ。知ってんぞ、これ演劇部のだろうが」
「た、確かに演劇部のだけどおれはそんなもの入れてな・・うっ」
わき腹を蹴られた、もう一人の方だ。
「それとな、お前帰り道変な方向から行ってるだろ。こそこそとなんかしようとしてんじゃねぇよ」
「なにもしてない、その下駄箱のいたずらもおれじゃない」
いじめっ子A「ちょうどいいや、お詫びもかねてその『お気に入りの場所』でしっかり話し合おうや」
手首を強く絞められた僕には拒否権はなかった。

 おかしい。さっきから道を変えようとする度にこいつらが先に歩いてる。それに普通ならカフェとか店を想像してもおかしくないはずなのにこいつらは開けた場所だって知ってた。つけられてたのか?いつ?それとも・・・。
いつもの場所へ続く一本道。無作為に並べられた木製の階段を上って視界が開ける。そこに道化師はいなかった。
「なんだ、いい椅子もあるじゃねぇの」
二人組は切り株に腰かけた。僕は腕をつかまれたまま草に放り出された。

 もうかれこれ15分は経った。どうでもいい問答と「やってない」の無駄なやり取り、そして暴力が往復した。もうやったって言ってしまおうか。この際やったかやってないかなんて全くどうでもいいのだ。体が痛みに慣れ始めているのを感じ、少年は一切の抵抗を投げだした。
「おい、なんだあれ」
急にこぶしが緩んだ。二人組の見るままに少年が目をあけると、1人の道化師が立っていた。少年はつかまれていた手が緩んだすきに二人を振りほどき、道化師の前に立った。
「どういうつもりですか」
「・・・」
「なんでだって聞いてんだよ!!」
少年は道化師の胸ぐらをつかんで言いかかった。ピエロ顔が少し歪んで震えていた。
「なんでだよ!あんたが、お前がやれって・・がっ」
道化師の鋭い蹴りが少年の脇腹に入った。さっきと同じ場所でさっきと同じ蹴りで。吹き飛ばされた少年の辺りで朽ち木の折れる音がした。

「うっ・・」
少年はだらしなく草の上に転がっていた。いつも道化師と座っていた場所だった。ふと目をやると道化師のギターはそこにはなかった。代わりに一本の小ぶりの斧が切り株に寝ていた。やろう、そう思った。この人だけは許せない。ふざけるなよ、裏切りやがって。少年は道化師に向かって走った。
「俺の人生を汚しやがって・・」
斧を手に取り片手で振り上げた。その瞬間、少年の手が止まった。軽い。握ったことのある感触と重み。
「・・部室の」
手から滑り落ちた斧がボトっと草に落ちた。頬のすぐ横に覆面の肌を感じた。
「やらないの?主演は君だよ。」
白く滑らかな手の中に小さなナイフがやさしく握られていた。少年はナイフをゆっくりと手に取る。雲一つない空を見つめて、遠くに見える二人を眺めた。


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