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お正月はいつもたべすぎ

お正月、体重が増えてきた。
体が重くなってきた。動きが鈍くなってきた。
いかん。
しかし何故にこんなに食べてしまうのか。
そこに食べるものがあるからだ。
実にありがたいことだ。
令和5年の日本。僕はまだ飢えていない。

僕が生まれたのはもちろん戦後だが、昭和38年というのは敗戦からまだたった18年しか経っていないのだ。
今の若者が聴くとそれは「戦争直後」と言ってもおかしくないように聞こえるかもしれないが、
18年はやはりそれなりに長い歳月で、実はその頃すでに日本は焼け野原から復興をどんどん果たして、近代文明がぐんぐん進んで、高度経済成長真っ最中なのだった。
だから僕はどんどん豊かになる時代に生まれて両親に大事にされて育ち、社会的には途中何度も不景気と呼ばれる時期もあったが、僕自身が食べるのに困った記憶は一度もない。
その頃の子供の僕の眼から見ると、大人は何かというと「将来どうやって食べていくんだ?」とか「食うために一生懸命働かないとだめだ」とか、「食べる」ということの優先度合いをことさら大きく取り上げて、それを根拠に子供に説教をするのが一般的な教育理念で、子供はというと「ふざけてばかりだとご飯が食べられなくなる」という恐怖が行動基準の主要部分になるよう教育されていた。
僕も大人になったら自分で働いて食べていかないといけない、という強迫観念に縛られて子供時代を過ごした。
だからどうせ働くのならやりたくないことはやらなくていい職業につきたいなあとそればかり考えていた。
しかし、世の中の常識では、仕事というのは好き嫌いを選べるものではなく、他人のためにすることで、
世の中のためになることをしてその対価としてお金を頂いて、それで「食べる」のが人の道だと、昭和から平成にかけてはほんとうにそれが常識だったのだ。

僕はありがたくも好きな軽音楽を演奏して長いことそれが仕事にもなったのだが、基本は他人のために演奏してお金をいただいている、という意識だった。
「夢は見るもんじゃない、叶えるもの」
みたいな文言は全く現実的ではなく、「まず働け」と言われ「はいわかりました」とそれだけのことだった。

またそれ以前の、軽音楽を演奏しても仕事にならなかった頃は、アルバイトで別の仕事をいろいろやった。
引っ越し屋、八百屋、イベント会社、店頭販売、コンビニ店員、ホテル客室清掃、などなど。
アルバイトに関してはどの仕事も好きでも嫌いでもなく、他人のために働いて自分のためのお金を稼いでいる、という意識だった。そして収入が少ないときに本当に困ったのは、食べるものが買えないことではなく、
「娯楽」や「好きなもの」にお金が使えないことの方だった。
そして「ぜいたくができない」ことは、「心が貧しくなる」ということだと、こちらの方が本当だと思ったし、
人間は食べるためだけに生きているわけでは絶対にない、と確信もした。

長々と書いてきたが、要するに何が言いたいかというと、
僕には、たとえ報酬が少ないときでも、
「食えない」時期は全くなかった、ということで、それは全く幸運で、感謝しかないということだ。それが言いたかった。

もちろん仕事が上手く回らず、節約はしたときも多少はあったが、「飢える」ということはなかった。
だから今の芸能人とかが売れない時期に、食べるものがなくて「もやしばかり食べていた」とかいうのを聴くと、本当かな?と思ってしまうのだ。
しかし、ここは大事なところで、「だから日本は豊かだ、ありがたい」と単純に言ってはいけないのは分かっている。
現実にこの国にも貧困はあるのは知っている。
そしてそれは分かった上で、だからこそ自分は本当に幸運にもこの世に元気に生きさせて頂いている、感謝しかない、とそう言いたいのである。
ある角度から見ると、無神経で無知な物言いかもしれないが、自分はとにかく感謝したいということです。
食べるものに飢える前に、心が飢えることもないようそちらも大事にしたい。
それには感謝を欠いてはいけないとそう思うわけであります。

でもまあ、いくら正月でも食べ過ぎはよくないですね。
みなさんも健康に留意して新年をお過ごしください。

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