sabachika(サバチカ)

このページのテーマ「食卓の借景」は、長年の愛読書である池波正太郎の「食卓の情景」へのオ…

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このページのテーマ「食卓の借景」は、長年の愛読書である池波正太郎の「食卓の情景」へのオマージュです。 料理人ではありませんが、長年「食」の仕事に携わってきました。これからできるだけ多く、おいしい文章とレシピをお届けできたらと思います。どうぞ、よろしく。

最近の記事

ガーリックシュリンプの洗練

ガーリックシュリンプが喰いたい。 手掴みで乱暴に頬張って、奥歯でバリバリと噛み砕きたい。 べっとりと手についた油を舐め、追っかけ冷えたビールを流し込みたい。 わたしの場合、パワーチャージしたいとき真っ先に思い浮かぶのがニンニクだ。 ある料理人が、ニンニク・バター・醤油の組み合わせは卑怯だと言っていた。 どんな食材だろうが、どんな繊細に味を組み立てた料理だろうが、その組み合わせはすべてを吹き飛ばすパワーがあるという。その3品の中で最も重要なのがニンニクだ。バターと醤油には代用

    • 横浜中華街「保昌」の賄いから名物になった 牛バラ煮込みカレーを贅沢に再現した。

      中華の賄いカレーは「カレーの概念」を嘲笑う。 中華料理屋のカレーが昔から好きだった。六本木の香妃園は鶏そばが名物だが、 実はポークカレーとビーフカレーはその次に有名なメニューだ。 ホイチョイの馬場康夫氏などもファンだったと何かで読んだことがある。 実はわたしが初めて体感した中華の賄いカレーの原型がこれだ。 ここのカレーを初めて食べる人はみんな拍子抜けする。想像していたカレーの旨さとは方向性が違うのだ。例えば私たちは、カレーの玉ねぎは飴色になるまで炒めるものと思い込んでいる

      • 本物の東坡肉を食べてみないかと、友人の料理人が囁いた。

        東坡肉(トンポーロー)と沖縄のラフテーや和食の角煮と決定的な違いは、皮付きかどうかにある。ラフテーや和食の角煮では皮を使わないことが多い。 さらに、厚さと大きさに違いがある。本物の東坡肉が目指すものは、でかいひと塊がすべてトロトロになり、歯ごたえというものをほとんど無くすことにある。 軽く箸で切れるほどに柔らかくし、それをギリギリ箸ですくえる大きさのものを口に入れる快感を追求した料理である。 東坡肉は5分ボイルし、1時間煮込み、さらに3時間蒸す。 東坡肉はとにかくとことん

        • この手があったか!ステークフリット。

          肉が食いたいと思うとき、わたしの場合は焼肉ではなくステーキになる。 厚みのある肉をナイフで切り取り、口いっぱいに頬張って奥歯で噛み締めたい。 それは最低でも350g、できることなら1ポンド(約450g)であるのが理想だ。 それと焼肉なら断然ビールだが、ステーキは安くて構わないから赤ワインがどうしても欲しくなる。そんな欲求を満たせる店を探すとなると、やはり財布が心配になってくる。 「いきなりステーキ」の赤身肩ロースで1ポンド3000円弱。レスラーの聖地である「目黒のリベラ」で4

        ガーリックシュリンプの洗練

          豆鼓蒸排骨・スペアリブを自宅でつくる

          「蒸す」という調理法は、現代においていちばん馴染みのないものだ。 例えば、蒸し料理で知っているものをあげてくださいと問うと、まず「茶碗蒸し」としか返ってこない。少し意識が高い人でも「蒸し野菜」と答えるくらいだ。 何年か前までは、わたしもそうだった。 しかし、相棒の凄腕中華料理人の施さんと知り合ってから、わたしは「蒸す」という調理法に取り憑かれた。彼が「ここは本物だから」と紹介してくれた店や、実際に作って食べさせてくれた蒸し料理が、ことごとく各素材分野で、わたしの「人生ナンバ

          豆鼓蒸排骨・スペアリブを自宅でつくる

          理想の冷やし中華を求めて。

          柳沢きみおが「大市民」に書いていたが、自分で作る方が店のものより旨いものがふたつあるという。それが餃子と冷やし中華だ。まったく同感だ。 つまり、店のもの(プロ)や市販のもの(企業)そのままではなく、自分の好みにとことん合わせたほうが旨い料理というものがあるのだ。 特にわたしが激しく共感したのは「冷やし中華」である。 餃子は奥が深いので、後にまた書き綴りたいと思う。 とにかく冷やし中華ほど、みんな大好きなのに、お店で提供されるものに不満があるという料理も珍しい。それでも私たち

          理想の冷やし中華を求めて。

          崎陽軒のシウマイをお家で完全コピーする

          焼売は、わたしにとって日常的に、ふと食べたくなるものではない。 ラーメンやカレー、焼肉や鰻などは周期的に身体が欲するが、焼売はふだん思い出すこともあまりない。しかし「それ」が目の前に現れると、無条件に手を出してしまう。そして食べるたびに大好物であったことを再確認し、日頃忘れていてごめんと謝りたくなる。わたしにとって焼売とはそんな存在だ。 なぜ、わたしは大好物であるはずの焼売を日常的に忘れているのだろうか。 中華街を散策しているときも、町中華や気の利いた居酒屋にメニューがあっ

          崎陽軒のシウマイをお家で完全コピーする

          町中華のオムライスを自宅で完全再現する

          新橋の町中華「三陽」には10年ほど前によく行っていた。一人で行くのは決まって土曜の昼の1時から2時の間。新橋はビジネス街であり、さらに微妙に駅から離れたこの店に土曜日に来る客は少ない。平日のランチタイムにはバイトらしき人はいるが、基本的にワンオペだ。それではなぜ土曜日に営業するかというと、オヤジにとって週に1度の大掃除を兼ねているからだ。 さあ食うぞという気分を高め、読みかけの本を持って昼を少し過ぎた時間に行く。 するとオヤジが道路にゴミ箱を出し、ホースでザブザブ洗っている

          町中華のオムライスを自宅で完全再現する