以上、3つの文章が私の「タバコ観」であった。自分自身は呼吸器官に慢性的な疾患があるので、吸わないだろうなぁと思っていたが、何の流れか吸う機会が訪れた。そしてその機会と、最近考えている「生政治での逃走線」、「〈クィア〉のNo Future性」が絡み合い、それらは「〈クィア〉なタバコ」という概念へと総合されていった。このnoteは、その足取りを書いたものである。
補足)今回は〈クィア 〉の「反社会性論」的な部分を扱った。〈クィア〉には社会運動としてLGBTQ+の社会的包摂的な部分も含まれている。今回はそちらは扱っていないが、それに関しては清水晶子の『クィア・ポリティクスとポリテイカル・コレクトネス 「生の保障」と「アンチ・ソーシャル」との間で』 394.pdf (jss-sociology.org)を参照していただけたらと思う。