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生きづらさの根源にあるのは何か「聖地には蜘蛛が巣を張る」

男に生まれれば。

幼い頃、いつも思っていた。「女の子は大学なんていかなくていい」「女の子は家の手伝いをしなさい」

女であることは損ばかりだった。大切にされ投資される弟たちが羨ましかった。

だから「男の子は強くなきゃ。泣くのは男らしくない」、そう叱咤激励される弟たちを真似て、自分の中の弱さをいつも押し込めた。

2000年にイラン第2の都市マシュハドで実際に起こった連続殺人事件を扱ったこの映画を観て、そんな昔を思い起こした。

敬虔なイスラム教徒であり、妻と3人の子供を持つ普通の市民であるサイードは「街を浄化する」という犯行声明のもと、16人の娼婦を殺害する。

犯行そのものもおぞましいが、もっと酷いのが、宗教的な戒律や道徳観を背景に彼を英雄視する人々が数多く存在したことである(言っておくが、わずか20年前の出来事である)。

この手のミッション型とも呼ばれる事件は枚挙にいとまない。この人たちは社会に存在しなくてよいのだ、という誠に自分勝手な理屈。

結局のところ、これらの背景には弱さに対する極度の嫌悪があると思う。

恐ろしいことに、それは私の中にもある。

映画の中では、未婚女性がひとりでホテルに宿泊することも許されない、封建的で家父長的なイラン社会が描かれる。

女性はもちろん、いつも立派であることを求められる男性も、生きづらそうである。

誰もが自分の尊厳を守りあえる社会。それはそれぞれが自分の中の弱さを認めることからはじまる、としみじみ思う。

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