見出し画像

自信をつけることってそんなに難しいことじゃなかった

「自信がない」という人ってすごく多いんじゃないかと思っていて。現職で、採用活動に少し関わっているので、学生さんと話す機会もすごく多いんだけど、みんな口を揃えていうのは「自信がなくて・・・」「やっていけるか不安」という言葉。それは学生にはじまったことじゃなくて、大人でも「自信がない」と思っている人って数多いると思う。私も実際その一人で。

なぜこんなにも自信がない人が多いのか

日本では「謙虚が美徳」という文化がすごく根付いているので、私たちは「自分を褒める」ということをあまりせずに生きてきた。学校でも、「他人を褒めましょう」「他人のいいところを見つけましょう」という教育はあれど、「自分を褒めよう」「自分のいいところを探そう」という教育はほぼほぼ受けていない。日本は、それこそ”和”を大切にする文化がある。だからこそ、自分にフォーカスを当てることはあまりいいものではないと無意識的に感じてしまう。もっと周りを見なさい。周りと同じようにしなさい。周りの優等生たちを見てみなさい。他人にもっと目を向けなさい。そう言われて育った。

だからこそ、何となく自分を褒めることもなんかむず痒いし、自分大好き!というのもなんか引けを取るし。そもそも、自分にフォーカスを当てて自分を客観的に見ることがあんまりないから、まず自分が自分をわかってないんだよね。そりゃあ自信をつけようにもつけられないよね。

他者からの賞賛を積み重ねても自信はつかない

ちなみに私は、完璧主義思考で、かつ他者比較してしまう癖もあって、それこそ自分のいいところとか自分が得意なこととか、「こんなんできて当たり前だし」とか「いや上には上がいるし。私なんかまだまだ」とか全然認めてあげられてなかった。いや、知識として、自己肯定感の話とか自分をもっと認めた方がいいとかそういうのはわかっていたので、表面上では自分のことを褒めているつもりだった。でも、表面的なものなので、最後には「やっぱり自信がない」というところに立ち戻る。自分で自分を褒めきれず、認めきれずで、結局他人からの賞賛を待つスタイルになってしまっていた。それでも、私はいつか自分の能力とか自分のいいところが他人に認められて、それを積み重ねることで、自信がどんどんついていくものだと思っていた。

でもね、気づいた。結局どれだけ他人に賞賛されても、認められても、自分が自分を認めてあげられてなかったら、褒めてあげられなかったら、その「自信がない」という穴は埋まらないんだ。自信という言葉が、”自分を信じる”と書くように、他人からの承認・賞賛では、自信は生まれないものなんだ。

私が自信をつけたスモールステップ

自信ってすごく大きいことを成し得て獲得できるものだと思いがち。例えば、「〇〇ができるから自信がある」とかそういうポテンシャル・スキル・能力を持っているが故の自信だと思いがちだけど。実際にはそんなことはない。案外、日常に自信を獲得できる種は転がっている。

朝ちゃんと起きれた。昨日より10分も早く起きれた。朝ちゃんとメイクしたし髪も整えた。笑顔で挨拶ができた。お客さんに笑顔で対応できた。仕事帰りに買い物ができた。帰ってきてからご飯ちゃんと食べた。洗い物できた。ゴミ捨てできた。お風呂のお湯ちゃんと溜めて湯船に浸かれた。

この事柄に全部褒め言葉をかける。「すごいね」「偉いね」「頑張ったね」と声をかけてあげる。始まりはもうこんな小さなところでいい。むしろ、今まで自分を褒める・認めるということをしてこなかった人はここから始めた方がいい。何事もスモールステップが大事。私もここから始めた。そして今でもこんな小さなところをひたすらに褒めてる。一人で洗い物して、一人で「待って、私偉くない?いつもめんどくさがってあと回しにしてしまうのに、ちゃんと洗い物できてる。ほんまにえらい!」と言っている。笑

でも、これを始めた当初は正直心から思えない。だってこんなん当たり前やん?って思ってるから。それでも続けてみる。20数年生きてきて出来上がった思考がそんな数日・数週間で簡単に変わるわけがない。そして、これらはちゃんと紙とか、スマホのメモとかでもいいから、書いてあげる。それこそ初めは口頭で言うよりも、目に見えるわかりやすいし、続けやすいから。

そこから派生して、私は今ではもうちょっと大きな範囲で自分を認める・褒めることができるようになってきた。自分の持ってる能力を「さすが!これは私だからできることだな」って褒めたり、数年前の自分と比較して、「待ってこれ過去の私やったらできてなくない?天才。成長してる!」と褒めたり。とにかく褒めちぎる。笑
これが不思議なもんで、続けてると無意識にそういう回路で思考するようになってくる。それでもやっぱりたまに、元の思考の癖が出ちゃうから、そういうときは、メモに書き出して冷静に立ち戻るといい。

これを続けた結果、私の癖でもある「他人と比較すること」もだいぶ減った。それは、自分に自信がついた大きな結果だと思う。他人よりも「過去の自分と比べてどう成長したか」というところによく目が行くようになった。
今思えば、よく昔から「他人ではなく、過去の自分と比較しよう」と言われてきたけど、他人を見て、自分を見ないという習慣がそもそもついてるんだから、そう簡単に言葉通りできないよね。絶対他人と比較しちゃうもん。笑
だから、上記のように小さいところから始めた方がいい。まずは自分を見つめる習慣をつけよう。

誰でもできることはできてもすごくないのか?

私、高橋一生さんが好きで、高橋一生さん主演の「僕らは奇跡でできている」というドラマを以前見ていて、すごく大好きなドラマなんだけど。

画像1

7話で、この高橋一生さんが演じてる一輝が、自分で自分を認めてあげられない榮倉奈々さん演じる育美(この育美私みたいですごい重なるの・・・)のすごいところ100個を伝えるんだけど、それを聞いて育美は「それって誰でもできることじゃないですか」と言って受け入れられない。その言葉に対して、一輝はこう言う。

「誰でもできることはできてもすごくないんですか?」

まさにこれ。私がさっき挙げた例も正直誰でもできることだし、なんなら当たり前のようにやってる人も多いし。でも、そんな小さなことでもできてる自分はすごいし、褒めてあげていい。認めてあげていい。そういうのを積み重ねて、自信というのものが生まれてくるんだと思う。(このドラマ、自己肯定感が低い人とか自信がない人とか、自分らしく生きれてないように感じる人とか、絶対に響くから見てほしい!)

まとめ

自信をつけるためには、まずは自分のしている行動をちゃんと見てあげる。まずは自分にフォーカスを当てて、自分をちゃんと見つめる習慣をつけよう。そして、どんな些細なことでもいいので自分を褒めてあげる。認めてあげる。声をかけてあげる。そこから始めよう。

この自分に「してあげる」「させてあげる」思考、すごく大事だなと思っていて。もっと自分に甘々でいいと思う。みんな自分に厳しすぎる。些細なことでも自分をもっと褒めよう。そして、ダメな自分はちゃんと受け入れてあげよう。自分にもっともっと声をかけてあげよう。それを積み重ねることできっと自信が生まれるはず。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?