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”いい子”でいることをやめた

私は昔から、”誰かにとってのいい子”であり続けたいと思っていた。

親から見たいい子
親戚から見たいい子
先生から見たいい子
友達から見たいい子
彼氏から見たいい子

こうやって常に誰かにとっての”いい子”を模索し続けていた。

でも最近やっと、いい子でいようとすることから卒業できた気がする。

そうなれたのはきっと「私ってすごいし面白いし最高でしょ??」って自分自身で思えるようになったから。

自分の良さも味も知って、その分だけ短所やできないことがあるのも知って、全部含めて「それが私だ」と胸を張って言えるようになった。見せかけの、他人の評価に振り回されるものではなくて、根底での自信がついた。

そして、そんな私を

「これさきちゃん得意よね。ほんますごいよなぁ。」
「ほんまさきちゃんらしいわ」
「さきちゃんこれ苦手やろ?やと思ったわ〜(笑)」
「ほらまたすぐそうやって。全くもう(笑)」

こうやって、そのままを受け入れてくれる大切な人たちが周りにいる。

そう、思っている以上に私の周りにいる人たちは、私のことを理解してくれているし好きでいてくれている。そして、その人たちは誰も、私が”いい子”でいることなんて求めてないよなあって思う。

その事実に気づけたのも、いい子でいることをやめた恩恵だと思う。


いい子でいなくていい。優しくない自分がいてもいい。気を遣えない自分がいても、不器用な自分がいてもいい。全然いいのだ。いい子じゃなくても。

ただその分、自分が感じていることとか気持ちは、ちゃんと相手に伝える努力をしよう。たとえうまくできなくても、伝えるということに価値がある。顔色伺って、察して、いい子ちゃんでいて、勝手に一人でしんどくなって、自爆するんじゃなくてね。

いい子でいることは、時に自分という存在を濁らせ、自分のことを大切に思ってくれている人のことすら見えなくなるんだ。

そうならないように。誰かにとってのいい子でいるんじゃなくて、より自分らしくいられるように。そしてその自分を受け入れてくれる大切なひとを信じられるように。

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