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中途半端に信じるな。

過去の私に言いたいこと。それは、

「自分の選んだものをちゃんと信じ切れないと、何を選んだとしても負けるよ?」

ということ。

もちろん、人生勝ち負けではないこともわかっているけれど、わかりやすくいうならそう。自分で選んだものを最後まで信じ切る力がないと、何を選んでもなんかうまくいかなくなるの。

仕事もそう。友人関係もそう。恋愛もそう。

自分が「いいな」「好きだな」と思って選んだことを、まずは自分がわかってあげて、それを信じて貫けないと、いろんなことが中途半端になる。だからうまくいかない。うまくいった気がしない。ずっと消化不良みたいな。心からの満足感がない感じ。



私の場合は「他人からどう思われるか」というのを第一に気にしていたから、自分の選んだものを信じきれなかった。

「自分がどうしたいかより他人がそれをどう思うか」が基準だったから。

でも今は思う。他人なんて案外勝手なものよ?笑

だってかく言う自分だってそうじゃない。自分の主観で、好き嫌いや良し悪しを決めるでしょう?話すでしょう?だからみんなそうなのよ。他人からどう思われようと、それはあくまで他人の主観で見た話であって、それは自分の人生には何ら関係しないの。

大切な人の話やリスペクトしている人の話は聞いてみても良いかもしれない。けれど、いくら大切な人だって、リスペクトしてる人だって、私の人生の責任は取れない。だから、結局自分でちゃんと選んで、それを信じ切るしかないの。

(大好きな高橋あいさんが過去ブログで”リスペクトは洗脳じゃないからね”と言っていてほんまに心痺れた)

「他人がどう思うか、よりも、自分がどう思うか、どうしたいか」は本当に自分に問い続けた方がいい。



これみんなに経験があるのかわからないけど、よく私が過去にやってたのは、友人関係とか恋愛とかで、「自分が好き」かどうかはいったん脇に置いておいて、「彼(彼女)は私のことが好きなのだろうか」「大切にしてくれるのだろうか」というのを一番に考えて、それに合わせて行動していたのね。

いわゆる損得勘定というやつ?損をしたくないが故に出し惜しみをするというか。笑

相手の出方を見て、私も出よう!みたいな。

これ本当よくやってて。(今でも頭の中に浮かぶぐらい癖になってる)振り返ってみて、その損得勘定というものでそれらを表すならば、そっちの方がまあ断然損してるよね。笑

だって、永遠に「自分がどう思われているか」を気にしているわけだから気持ちは常にソワソワしていて怖いし。ちょっとした言動にも「嫌われたかな?」とビクビクして。で、相手が好きと思ってくれていると知った瞬間、すごく嬉しい反面、いつかその気持ちが変わってしまうんじゃないかという不安と、自分の好きを出し惜しみした罪悪感と。

まあーーー損してるよねほんと。もったいないよね。

もっとシンプルでいいの。自分が好きか嫌いか。いいなと思うか思わないか。心が向くのか向かないのか。それでいい。それだけでいい。それを出し惜しみする必要も、遠慮する必要も、全くない。

出し切って、それで離れるものは所詮それぐらいのものだったのかと思えばいいの。だから信じ切る。貫く。ダメだなと思ったらすぐに方向転換すればいい。それだけ。

信じ切る理由なんてなくていいから。裏切られてもいいやぐらいの覚悟で貫く。その覚悟に人は惚れるし、夢もついてくるのよ。

そのマインドを念頭においてこれからも行動していきたいなぁと思ったこの頃でした🌿


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