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ある20代の悩み。

繋がってるようで離れてる感覚。皆さんにもありますか。LINE、Instagram、Twitter。誰とでも、どこでも、いつでも連絡をとれたり電話ができたりする。一見繋がっているようにも思う。しかし、実際はそんなことない。

心のどこかで私たちは離れている。SNSでしか自分の主張を言えない人、YouTubeに投稿するために友達と動画を撮る人、SNSだけで繋がっている人。

友達と遊んでいても、恋人とデートしていても、飲み会でも、合コンでも・・・

みんなスマホをいじる。必ず1回はいじる。いや、何百回、何千回かもしれない。電車に乗っている時間、ご飯を待つ時間、観覧車の中でも。

ネットは仮想世界か半仮想世界だと思う。現実世界で人との関わりがあるのに、それを遮断してネットの世界に入っていってしまう。現実世界と仮想世界との行き来は人間を虚無にする。

「人が繋がる」ということは物理的にそこにいることや、友情や恋や愛でつながるということではなく、もっと深い場所。心でつながることで初めて「人が繋がる」と言えるのではないかなぁなんて思ったりする。

心の世界では物理的な距離や友情、恋、愛などの区別はなく、それらを超越し、ただそこに心があるだけである。もちろん仮想世界が入り込む余地はない。ネットという仮想世界に入り込んでいる時点で人が繋がっているとは到底言えない。

20代の僕たちは常に孤独を抱えて生きている。そもそも人との繋がりが分からなくなっている。自分が何かわからない。心で繋がれ、心で感じろと言われても何をどうすれば良いのかわからない。でもそれは単純なのである。

自分の思いや直感に耳を澄ませればいい。目の前の出来事を見るのじゃなくて感じればいい。ありのままで感じればいい。心を研ぎ澄ますことで他人をも引き込むことができる。それは単純だけど、決して簡単ではない。でもそれこそが人間的な生き方であり、人との繋がりの根本的なものである。

僕も含める20代よ、生きづらい世の中、孤独なら心のまま孤独と叫ぼう。ありのままの自分を受けいればいい。心の中の本当の君が曝け出されたら、きっと世界のどこかにいる人と心を通じて繋がれる。ネットなんかではそんなこと絶対にできない。だからスマホを置いて心を研ぎ澄まそう。生きる意味を求めて。

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