見出し画像

余白を求めて

「無駄にこそ色気があるんだよ」

昔好きだった人が言っていた。
本はKindleで読んでいたわたしは、Kindleこそ本をよく読む人にとっては画期的な仕組みであり、もちろん当然こちらが好まれているだろうと思っていた。
しかし、かなりの読書家である彼は、Kindleではなく本は紙で読むことにこだわりのある人だった。

「無駄にこそ色気があるんだよ」

わたしが持たない感性を持つ彼に強く惹かれた。
今ではどこで何をしてるのかも全くわからない存在になってしまったが、2023年は彼のこの言葉が何度も頭に浮かび、その意味を体に染み込ませる体験が多い年だったように思う(ちなみに彼への未練は1ミリもない 笑)。

そんな2023年、今年も大晦日に振り返っていきます!

無知の知

無知の知とはなにか。

当時のギリシア人には、問題に直面した際にアテナイ北西のデルフォイ(デルフィ)にある“神託所”へ出かける習慣がありました。ある日、ソクラテスの友人であるカイレポンが神託所で「ソクラテスよりも賢い者はいるのでしょうか」と尋ねたところ、巫女は「いかなるものもソクラテスより賢くはない」と答えました。自分自身をそのように見なしたことはなかったソクラテスは神託の真意をたしかめようと、政治家、詩人、職人など知恵を有していると見なされている人々を訪ね歩き、問答を通じて自分よりも賢い者を見つけ出そうとしました。しかし、その結果、ソクラテスは、ある事実に気がつきます。

それは、

①知識を有しているとされる彼らは、自分自身に知恵があるとは思ってはいても、実際には知恵があるわけではないこと。実際は美しく、かつ立派なものを知っていると思い込んでいるに過ぎないこと
②ソクラテスは自分が知らないことについて「それを知っている」とは思っていない限り、彼らより知恵があること

でした。ソクラテスは神託の意味を、知恵に関しては自分にはほとんど価値がないことを自覚した者が人間たちの中で最も知恵ある者であるということだと解釈します。これが、ソクラテスの考え方の中でもよく知られている “不知の自覚” です。

https://www.toyo.ac.jp/link-toyo/culture/socrates

もちろんこの言葉の意味は知っていた。
自分もこういう人間でありたいと思っていたし、そういう意識を持っているものだと当然思っていた。

もうその時点で、無知であることを知らない。

とにかく混沌の中を手探りで進むしかなかった2022年と比べ、2023年は会社のメンバーも増え、チームわけができるようになり、自然にマネージャーという役割を担うようになっていた。

部下歴11年。
マネージャーは経験がなくとも部下の気持ちはめちゃくちゃわかっている(つもり)だった。

役員の言葉を理解しメンバーに伝わりやすく翻訳して伝え、メンバーの気持ちにも寄り添ってチーム運営をする。
キャラクター的にも、私には合っているしうまくやれる仕事だと思っていた。

でも、全然違った。

経験してわかったことは、特にスタートアップの正解がわかっていないような仕事の場合、大事なのは「何が課題なのかを特定し、その解決のため行動し続けることができる」ことだった。

そして、「メンバーのスキルとレベル感を見極め、適切な粒度のタスクに落としこみ、振り分け、着実にプロジェクトを進められる」こと。

私はこの二つが全くできなかった。

そして怖いのが、自分ができていないことが全く理解できていなかったことだ。

何度も何度も指摘をされ、その度に言葉の意味は理解して、反省する。
しかし、そもそも自分ができていないことが、本当の意味で理解できていなかったために、何度も同じ指摘を受けることになってしまうのだった。

自分がマネージャーを担当しているチームの成果が全く上がらず、メンバーの成長も促進できていないということ、それに見かねた役員がサポートに入ってくれたことで、ようやく自分のスキル不足と愚かさと、「無知の知」を認識した。

結局、配置転換と私が持っている業務領域が広くなりすぎていることもあり、10月でマネージャーの役割から外れることになったが、この経験は今後のキャリア形成にも、自分の人格形成の上でも大きな意味を持つものとなった。

「自分を大切にする」こと

オフィスなしのフルリモートの会社に転職してから2年が経った。
コワーキングスペースなども検討したが、オンラインMTGが多いため家でやるのが一番落ち着くという結論になり、月~金の日中はずっと家。
Zoomで人とは話すが、他愛もないおしゃべりには慢性的に飢えていた。

そんな中で見つけたのは、ジェーン・スーさんと桜林直子さんがただただ雑談するTBSラジオ、「となりの雑談」だった。

まさにこのラジオのコンセプトも、「コロナ禍で減ってしまった雑談って、本当は結構大事だったんじゃない?」というもので、これは私のためにあるものなのでは…と思い気軽な気持ちで聞いてみた。

これがすごくハマってしまった。
そこで気づいたのは、私が欲していたのは「他愛もないおしゃべり」ではなく、「日頃のもやもやの言語化」だったのではということだ。

お二人共ものを書く方なので、日頃感じるもやもやしたものを、丁寧な言葉で言語化していく”雑談”を、ただただ聞いているだけで私自身のデトックスになっていて、すごく癒やされていくのを感じた。

そこからジェーン・スーさんにハマり、かの有名な「OVER THE SUN」にいきつきバックナンバーを追いかける日々になったのだが、

となりの雑談でもOVER THE SUNでもよく出る話題が、「自分を大切にすること」。というか、私に響くテーマがこれなんだと思う。

転職してからの日々は、成長痛なのか無理なのか紙一重の苦しみを伴いながら、土曜日の朝に一息つくことを目指して全速力で走っているような状態。

それは自分が求めた環境で、自分で選んだものだからと歯を食いしばってはいるものの、ちょっと心が弱ったときに一気にダウナーになってしまうことも多かった。

そういう状態になってしまうのは、自分を労り、大切にする時間が足りていないからなのではと、ジェーン・スーさんのラジオで考えるようになった。

日頃から自分を大切にしてあげないと、自分に厳しくしたいときにしっかりムチを打つことができないのではとも。

去年も「なにかにハマることが自分を癒やす」という内容を書いたが、この気付きから、今年は更に自分を癒やすための時間を意識的につくるようになった。

早起きで余白はつくれる

まず、もっと余白の時間が必要だと考えた。
起床時間を早めて無理やり仕事から離れる時間を作ることを始めたら、これがめちゃくちゃよかった。

私が朝早く起きてやったことは、散歩。

朝の空気は気持ちよく、特に11月に引っ越した部屋は徒歩5分先に大きな神社と大きな公園があり、毎日そこをぐるっと歩いて帰ってくるだけで気持ちもすっきりした。

友人関係は「洗練」を求めすぎない

30代なかばに差し掛かる女性には頷いてもらえるのではと思うが、このタイミングの女性はそれぞれの経験や、身を置いている環境が本当に様々になるため、本当に話が合う友人を持つことが本当に難しい。

しかもこの年齢まできてしまうと、人間関係についての考え方も凝り固まってくるため、新たな価値観や発見を受け入れづらくなるということもある。

”嫌な気持ちになる相手とは無理に付き合わなくていい”が私の友人関係の考え方だったが、些細なことで「嫌な気持ち」レーダーが発動してしまう私は、これのせいで自分の友人関係を狭め、自分の世界をかなり狭めてしまうことに今年気がついた。

これも一種の余白なのかもしれない。

自分だって完璧ではない。誰も完璧な人はいない。自分の思い通りに動いてくれる人だっていない。
それを追い求めるのは、人に対して期待をし過ぎなのだ。

定期的な無駄遣いを推奨する

2020年にお金の勉強をしたとき、自分のお金の使い方を「浪費」「投資」「支出」にわけて計上し、限りなく「浪費」を減らすというトレーニングをやったことで、お金の無駄遣いにはかなりシビアな性格になったと思う。

少し経済的にも余裕が出てきたということもあり、今年はこれまでの私が「浪費」に振り分けていたであろう出費は多かった。

カルディで輸入食品を買う。
ヴィンテージの花瓶を買う。
おしゃれなバーでおしゃれなクラフトジンを飲む。
完全に「時を計る」ことを放棄した泡の砂時計を買う。
旅行先でブリキのカエルのおもちゃを買う。
すぐ枯れるとわかっていても花を飾って愛でる。

しかし、この「浪費」が、私の生活を確実に豊かにした。
好きなもの、何故か無性に惹かれるものを自分の生活に取り入れることが、仕事以外の余白を作り、私を癒やしてくれた。

面白い。今までは無駄だと思って「浪費」と名付けていた出費は、私の生活を豊かにするための「投資」であったことに気づいた。

背伸びをする恋愛は続かない

こんなセリフは、数多の恋愛指南本、恋愛アドバイザー、先輩友人ほぼすべての恋愛経験がある皆々様が口を揃えてこすり続けてきたTipsであることは承知の上だが、今年ほどこれを身にしみて感じたときはなかったのではないだろうか。

恋愛というものほど、自分で痛みを感じない限り学べないものはない。

今年出会った男性は、比較的社会的地位が高い人が多かった。
出会う異性は自分の鏡という言葉を信じているので、転職を経験して自分のレベルが急激に上がったんだなーなんて思っていたが、別に恋愛レベルが上がったわけではないので、全然上手くいかなった。笑

そういう人と出会って定期的に会うようになり、なんとなく関係が終わったと感じたときに共通して感じていたこと。
もちろん失恋の悲しみはあるのだが、次にくるのは、「あぁ、もう頑張らなくていいんだ」という安堵感だった。

相手のレベルに合う人間にならなくては、という焦りが常にあったし、話す言葉も、LINEを返すタイミングも、一挙手一投足に気を使っていたことを終わったあとに気づいて、あまりの不毛さにどっと疲れる。

振り返ると、そういう人とは恋愛相手というより仕事の相談相手みたいな関係になってしまっていることが多かった。
恋愛なんて、心を休めるものの最たる例みたいなものなのに、そんな状態だったらそれはお互い疲れるはずだ。

それに気づいてからは、男性とは「仕事以外の話でいかに盛り上がれるか」を大事にすることにしている。

この仮説が正しいかどうかは、また来年の年末の振り返りをお楽しみに…😌

2024年も健やかに

仕事を頑張ると決めたとしても、自分の生活は無視することはできない。
むしろ、生活という土台がしっかりしていなければ、仕事で踏ん張ることも蹴り上げて跳躍することもできないので、切っても切り離せない関係なのだ。

来年も引き続き、仕事は合理的&効率化を追い求めても、自分の生活は豊かにするため余白を取り、無駄を愛し、健やかに生きることを目標にしようと思う。

来年の振り返りもまたお楽しみに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?