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アラフォーで医療業界を目指したキッカケ

私は過去、全く別の業種に就業していました。出版・印刷業界でオペレータ兼デザイナーとして20代は身を粉にして働きましたが、あるきっかけで派遣社員になってからは、IT系・建築業界・メーカーなど「就業できてお休みあってお金がもらえればればなんでもいいや」精神で働いてきました。

結婚時はメーカーで派遣として働き、妊娠して夫の鬱が判明するまでは暢気にこう考えていました。

産後は育休終わったら近所でパートでもしよう
週5フルは大変だから、週3、4ぐらいで家事もプライベートの時間も大切にしたい。週1でも一人の時間を持って買い物やお茶したりへそくり用の副業頑張りたいな
学生時代にバイトしていたときに、平日フルでコンビニで働いて帰りに保育園に子供2人をお迎えに行く肝っ玉母ちゃんもいたな、そんな人生もいいな、またコンビニでバイトしようかな
正直、母親主婦業、楽しみだなぁ

そんなことを思っていました。

暢気。

最終出勤日に花束をいただき華々しく退社。
産休初日の朝、カーテンをあけ夫の弁当を準備。
時間に追われることなく「さぁゆっくり洗濯物干すか!」と思った矢先、起き上がれず泣き崩れる夫を見て、

「あ(私が思い描いていた↑の将来像)無理だ」

と思いました。

私が現在のように大黒柱になるぞ!と息巻くまでは、正直ショックでかなりの長期な葛藤がありました。
でも、正社員フルタイムで働くからにはこの業界を(できれば)目指そう!と決めていたのが「医療業界」でした。

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基本、人と接するお仕事は苦手です。
お世辞を言ったり、会話を広げるだとかのコミュニケーションスキルに自信がないため、これまでの仕事もそうでないものを選んできました。

私も幼少期から様々な病気で病院は友達の家より通っていたので、医療を提供する場所がどれだけシビアかを身をもって知っていたつもりです。
だから、安易に目指すことはできないし、パートをして暮らそうと思っていたいた頃から選択肢にすら入っていませんでした。

そんな思いが変わったのは35才の夏のこと。

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34才の誕生日に夫と入籍し、早く子供が欲しいと思っていたのに半年間生理が来ませんでした。

入籍前にブライダルチェックを受けていた、在住市で唯一の不妊治療クリニックの門を叩きました。

通院して半年でやっと正常生理周期が来、初めてのタイミングで陽性。そして自身の誕生日前夜に10週で稽留流産確定。
結婚して初めての誕生日&入籍記念日はその名の通りお通夜状態で、泣いて過ごしました。

妊娠したことを職場には伝えていなかったのですが2日後に手術になり「急遽手術を受けるので」とお休み申請をメールで上司に送りました。驚いて直接声をかけに来てくれた上司たちの前で、涙を堪えることができませんでした。
(懐かし。。。)

あれよあれよというまにお腹から赤ちゃんは消え、お腹の痛みをロキソニンで誤魔化し、思考停止したまま術後もお仕事へ行っていました。

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実は手術1週間後に1人で神戸・大阪を旅行する計画を立てていました。

それは妊娠前から楽しみにしていたミュージカルと、ずっと行ってみたかったある画家さんの美術館へ行く旅。元々独身時代から一人旅が好きで、不妊治療がうまくいかない自分への誕生日プレゼントとして計画。
妊娠、出産したら自由にいけなくなるしね、今のうちに。ゲン担ぎになったりしてね。

その後嬉しい誤算で妊娠。
つわりも酷かったので「まぁ行けなくてもチケット残しておいて思い出にでもするかな、どうしても見たいけどそれもいいかな」なんて思っていたものの。まさか流産手術後で傷心旅行になろうとは。

術後1週間検診後にそのまま旅行に行くことにしました。

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かなり週数も進んでいて自然排出目前だったから、かなり綺麗に手術できたんだよと主治医の先生に言われた通り、術後出血がほとんどありませんでした。
術後検査も異常なしと言われ、抜け毛や肌荒れやイライラが止まらなかったホルモン注射も2ヶ月休むから「この夏はゆっくり過ごして好きなことをしなさい」と励ましてくれました。

血液検査のために採血もしましたが、平日の朝はいつもの混雑もなく私も心にゆとりがあったのか初めて看護師さんに自分から話しかけました。

「流産決まって2日後に手術って、どうなんですかね。判断早すぎて、私って冷たいですかね。」

自然排出を待つ方も居る中、躊躇なく「早く安全に出してあげたい」と空いている日程で即手術しましたが、こんなお別れで、私って不妊治療までして子供が欲しいのに冷たい母親かな、、と少し罪悪感があったまま手術をしました。

心に1週間あったモヤモヤを初めて話す看護師さんにポロッと。すると看護師さんは、

「本当に、人それぞれなんですよ。」

その肯定も否定もしない一言でなんだかとても救われた思いがしたのです。どの部分が?と言われると分かりません、正直。
ただ、どうしていいかわからない思いを慰めたり励ますのではなく、単純に受け止めてくれたんだと思うけど、看護師さんってそういう患者のメンタルケアも学ぶのかな?
だとしたらすごいな?
と、目から鱗でクリニックを出ました。

何とも言えない足取りで駅まで歩いていると、今出たクリニックの受付の方とばったり。これから出勤だそう。
こんにちは、と会釈。
清楚なワンピースと日傘で綺麗な年上のそのかたが私の肩をぐっと抱いて

大丈夫。辛かったね。しっかりするのよ。また頑張れるよ。またおいで。

その時は驚いて笑顔で別れましたが、神戸までの新幹線の中で涙が止まらなくなりました。

受付の女性、毎日100人近い患者がいて何年も通う人がいる中私のことを覚えていてくれた事。

主治医の先生も、採血してくれた看護師さんも、私の人生の出来事に関わってくれたあのクリニックのみんなに、この悲しい流産を通してありがとうと言う感謝の気持ちを持つことができました。

純粋に、医療従事者ってすごいなっておもいました。

もちろんそうじゃない先生や看護師さんに出会ったこともあります。

それでも、あのクリニックの職員さんがすご

すぎてとても衝撃でした。

不妊から2度目の妊娠出産まで、約2年以上他の病院にたくさんお世話になりましたが、不快な思いをしたことがなく、私の中でムクムクと医療従事者のイメージが育っていったのです。

厳しくも温かく優しく毎週の妊婦検診、産院では夫のケアまでしてくれた助産師さん、息子は、私と夫だけでないたくさんの医療従事者さんに支えられてこの世に生まれてきたんだなと。

息子が生まれて順調に成長するとともに、感謝の気持ちももっと大きくなったのでした。

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病院で働くと、たくさんの患者さんに出会うはず。私のような特別な人間でない私にここまで大きな感謝の気持ちで満たせてくれるお仕事をされる、プロフェッショナルな方々。

すごくないですか?

もし読んでいる方に医療従事者さんがいらっしゃったら、出会ったことなくても感謝したくなっちゃう。すごいですよね。
人に感謝されるお仕事。
なんかもう語彙力がなくて申し訳ないですが、体の不調を治してもらうだけじゃなくてありがとうという気持ちを持たせてくれたことにありがとう、と言う気持ち。

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運良く目指した医療業界で従事できて早2ヶ月半。
現場でさらにプロフェッショナルな場面に出会い壁に打ちのめされていますが、まだまだ目指す壁はある、36歳から0からのスタートに、少し心の中が燃えているのは確かです。

時々涙が出そうになりますが。

私負けない!

あの時寄り添ってくれた方達みたいになりたい。

そんな場面に出くわさなくても、大丈夫って肩を抱いて声をかけれる素敵な人間力を身につけ得たいと思っています。

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長文、乱文失礼しました。
自分のために書いているし、話をまとめるのが下手なので読んで損した!って思われたら、大切な時間を使わせてしまってごめんなさい。

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