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ペット葬(21歳愛猫との別れ)②

忘れていたわけじゃないんです。
なかなか、思い出す余裕もないほど忙しい毎日で、何度も書こうと思ってもしんみりしちゃう気分で眠りにつくのか、、、と思うと正直億劫でした。

思い出したくないわけじゃないけど、それほど吹っ切れてないってことですね。

今回ペット葬の日の流れをまとめて終わりにしよう。と思いました。

記事を書いて思ったのは、「元気だった時のことをふと思い出すのはいいけど、亡くなった時のことを思い出すのは辛い」ということ。
そういうことなんだな。

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ペット葬当日は、両親が車で私を迎えに来ました。

私の住宅は両親宅と葬儀を行う町の中間にあったためです。

落ち合って、葬儀会社の指定する田舎のコンビニに着きました。そこで担当者に電話し、誘導してもらい葬儀場に向かうとのこと。ペット葬は頻繁にないので、場所を公にしていないとのこと。

両親は自宅を出てからすでに1時間以上移動しており心労もあってだいぶ疲れているようでした。

コンビニから電話して5分ほどで担当者が現れ、誘導に従いさらに20分ほど車を走らせ山奥の一軒家に着きました。

一軒家の広い敷地の庭に、献花台と軽のバンが1台、小さなプレハブがひとつ。

着くなり愛猫を献花台の上の籠に寝かせ、持参した好きだったおもちゃやまたたびをそばに添えてあげました。

担当者の方にも、21歳だった愛猫を「ここまで綺麗な高齢猫は1年に3匹もいない」との言葉をいただきました。

お世辞であろうと、お決まりの文句だろうと。
なんだっていいんです。

その言葉で「私たちは愛を込めて大切にこの子を育てたんだ、悔いはない」と両親も少し救われたんじゃないかな、と思いました。


お経を流して下さり、手を合わせました。

担当者の「では、最後のお別れを。」との言葉で葬儀は終わり、徐に軽バンのトランクを開けると、なんとそこか焼却台になっていました。
正直驚いた!

父が愛猫を抱っこし、最後に母と私が体撫でてあげ、じゃあね、と。
優しく焼却台に下ろし、最後のお別れをして焼却台の蓋が閉められました。

担当者にプレハブの待合室に促され、母と一息。

人一倍愛猫に入れ込んでいた父はプレハブには入らず、外でタバコをふかしながら「やっぱり区切りがつくなぁ」とポツリ。

よくお坊さんが「葬儀は個人より残された人たちのために行うもの」と言われます。
(私の地方だけかも)

その通りだなぁ、と父の言葉を聞いて思いました。

時間を持て余して両親と3人で、広い庭にある草花を鑑賞したりカラッと晴れた空と山中の空気を感じて、少し清々しくも感じました。

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焼却車で小さくなった愛猫のお骨を拾いました。

納骨は、気持ちが落ち着いてからゆっくり話そうということに。
葬儀に参加できなかった、元の飼い主の姉のこともありますし。

空っぽになった心のまま帰宅しました。

お骨になって出てきた時の愛猫の姿を見た時の気持ちはなんとも言えない気持ちになりましたが、でもやっぱり、やってよかったです。
お値段は確か2万円もしなかったと聞きました。

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なんだか、レポートのようにしたかったけど、なかなか難しい。

ペットの飼い主さんにペット葬を勧めたいわけでもないので、興味をそそる記事にはならないと思っていたけど、、やはり支離滅裂かな;


でも、我が家の愛猫の場合だから、これでいいんだよな。


私が思い出すためだけのnote。


うーん、引っ掻かれた時痛かったなぁ。

お腹になられた時重かったなぁ。

かた揚げポテトを猫パンチで奪ってきたなぁ。

不在にすると怒ってよくお布団で粗相してたなぁ。

夫と付き合いだして外泊するようになり、毎日一緒に寝ていたのに寂しくて、父親と寝るようになってしまった。
罪悪感すごかった。
ごめんね。嫌いなわけじゃないんだよ。

寒い日に布団を広げて「おいで」というと、いつも逃げ出すのに、1度だけ懐に飛び込んできてくれた時があった。会社に遅刻しそうで、ごめんね、と起き上がると、すぐに逃げてしまった。
あれっきりだった。
抱っこされるのが嫌いだったから、私の胸元によってきてくれたのなんてあれが最初で最後だった。

ごめんね。

だいすきよ、くぅちゃん。

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