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東日本大震災 あれから11年


2011年3月11日といえば、忘れる事の出来ない大きな震災が起こった日です。
当時私は今も住んでいる東京で、丁度熱を出して小学校を休んでいた息子と2人でいましたが想像を絶する大きさの揺れに動揺しましたし、息子を家に
留守番させつつ娘を小学校まで迎えに行かなければいけませんでした。
今なら住んでいる周りで特に大きな被害は出なかった。良かったと少し思えます。

今年も発生時刻に合わせて黙とうが捧げられています。

ジャッキー・チェンは全く関係ないと思われますでしょうか。

当時の第一報が届いたのは3月25日あたり

ジャッキー・チェンさんらが日本応援ソング

世界各国、著名人から義援金がたくさん集まった中でジャッキーは
2011年4月1日に行われたチャリティーコンサートへ向けて応援ソングを制作、公開していました。

「不要輸給心痛」
こちらは広東語版。制作された当時は北京語版と日本語版である「無懼風雨」

と3バージョン存在しましたが、愛心無國界artistes311のチャンネルでは広東語版のみ。岩手県花巻市出身である宮沢賢治「雨ニモマケズ」の詩を元にした歌詞になっています。

4月1日に行われたチャリティーコンサートの模様や香港、アジアの著名人からのメッセージがこちらのYouTubeチャンネルで拝見できます。

当時ファンクラブ40名の方々が行方不明という件にも触れ、今度はわたしたちが助ける番だと。

北京の日本食レストラン開店記念式典でも震災支援を呼びかけていたようです。その上で自身のポケットマネーからも300万香港ドル(約3300万円)の寄付。>チャリティーコンサート開催のお金もジャッキーのポケットマネーから出ています。


コンサートの翌月には、義援金を寄付


同じ年、2011年の秋には

「1911」が第24回東京国際映画祭特別オープニング作品として上映。そしてジャッキー本人も来日。

当時は原子力発電所のメルトダウン、放射能の漏れを懸念し来日を断念される海外の方々も少なくなかった中での来日です。>ジャッキーだけでなくあの時に来日された方々の存在は大変励みになりました。


当時はレッドカーペットならぬグリーンカーペットでした。日本語吹き替え声優として参加した江角マキコさん、中川翔子さんと共に歩いていました。


こちらは記者会見の模様ですね。とても気にかけて下さっていた様子がわかります。ファンとしても、とても力を頂きました。

一応動画もありますので、観てみて下さい~

当時の日本の首相、野田総理から感謝の意を述べられたジャッキー。


「1911」のインタビューも見てみて。震災の事にも少し触れているし、作品の時代背景の事にも言及しています。


ところで2011年4月1日に行われたチャリティーコンサートには、日本人のアーティストも出演されています。

当時シングル、アルバムの売上金より一部を寄付する誰かのためにプロジェクトを行い、被災地へも精力的に訪れていたAKB48の方々。「誰かのために」を歌唱。

今でも特設サイトは閲覧可能。活動履歴も載っています。


震災によって多大な被害が出た場所の1つ、宮城県女川町出身である中村雅俊さん

故郷の状況を受けてとても辛い心情であったのだろうと思います。

香港でも放送されていたという自身が主役であったドラマの主題歌「俺たちの旅」郭富城、眾星と共に熱唱。

中村雅俊さんの、その後の10年間での支援活動を振り返る記事。
地域によって復興格差が出ている事、被災者のメンタルケアも重要だとおっしゃっています。そして、できる事から。

もちろん、香港でのチャリティーコンサートにも触れられています。

しかし中村雅俊さんの活動は、「あの時」だけで止まっていないのがよくわかりますね。現在進行形。生きている限り続くもの。


私たちにもできる事はある

気象予報士である荒木健太郎さんのツイート。震災当時は電話がつながらなくてTwitterが大活躍していました。今一度災害に遭った時、どのように避難し情報収集すべきかシミュレーションしてみる。それも立派な復興活動だと思います。


花火は楽しむだけでなく、鎮魂の意味合いもふくまれています。ライブ中継を拝見して自身の記憶を風化させないのも復興の1つ。


本日、Yahoo!LINEでは、検索すると10円寄付されます。検索するだけで寄付ができるのは画期的な活動ですよね。賛同される方は検索してみて下さい。


震災当時気仙沼で自らも被災、津波から身を守るために高台へ避難した経験を持ち「東北魂義援金」を立ち上げ支援活動も精力的に行っているサンドウィッチマンのお二人。当時の混乱や支援活動の様子などを見聞きするのも立派な復興への第一歩。


ジャッキーの話に戻りまして

チャリティーコンサート用に制作された曲「不要輸給心痛」の他に、ジャッキーが上げてくれた曲がもう一つあります。

※震災当時の音声が流れますので、不安を覚える方はご遠慮下さい。

「相信自己(自分を信じて)」

こちらの曲は元々2008年の北京オリンピックのために制作されたアルバム「北京2008年奧運會歌曲專輯」に収録されている曲なのですが

上記のサイトに飛んでいただければわかるのですが2011年の東日本大震災用に、改めて制作されたMVになっています。

上に挙げた記事などなどを拝見してから見ると、改めてジャッキーの思いが詰まった曲であるのが感じられますね。

いやー初めて拝見した時は感動しましたよ。被災した方々のためにここまでして下さるんだから。毎年この日になると必ず聞いている曲ですね。

もしニコニコ動画が観られる方はこちらも貼っておきます。へたっぴではありますが、歌詞を訳しています。もしよろしければ。

しかし当時の記憶を風化させないのが今は一番なのかも知れないですね。
復興はこれまでも、これからも続く。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます(^^)


私はジャッキー・チェンを良く知らない、最近知ったばかりの方へ向けて記事を書いていきたいな~と思います。 メリケンコさんのYouTubeで訳詞を提供しております。そちらもどうぞ https://www.youtube.com/c/moriatomerikenko/videos