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舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』2年目

舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』に藤原竜也さんがカムバックして、もうすぐ1ヶ月だ。
今年は6/9から(竜也さんの)一般公開スタートだった。
7月に入り、先日5回目の観劇を終えた。あっという間だな。
(一度更新したあと追記)
ドラマの放送が終わって、来年も歌舞伎役者というわたしにとって待望の役柄、待ち望んだ布陣でのお芝居の発表があり、
また生きる希望を胸に抱いて日常と戦っていたら、劇場の目の前に立っていた。
桜の木も緑が瑞々しく、夏の空気が漂っている。

6/8は学校貸切があったので、子どもたちが素直に羨ましかった。というか、学校教育のなかでこの舞台を観劇できるなんて贅沢だなぁと。
日常生活を共にする同級生たちと、非日常の世界に触れた彼らはどんなに大きな感動を得られたことだろう。竜也さんのカムバック初日とその若い熱量をステージから感じていたキャストの方々のコメントを見ているだけで、早く観たいと胸が高鳴った。

そして6/9がいよいよ一般公開初日。
マチネ公演だったので仕事も休む。
開幕前のアナウンスに胸が高鳴った。
ああこれこれ。
舞台ハリー・ポッターの世界だ。

圧倒的な没入感に浸りながらも待ち望んだその瞬間にのどが鳴る。
息子の名を呼ぶ第一声と、美しい姿勢、凛とまっすぐ見つめる視線、引き結ばれながらもやわらかな口元、言葉とともに動き出す指先。
どうしてこうも惹きつけられるのだろう。

昨年9月末からおよそ半年ぶりのその姿に、滲む視界をなんとか堪えて瞬きも惜しく目に焼き付けた。
まさかまたこうして、19年後のハリーを生きる彼に会えるなんて。
父親になってもなおハリーが抱える潜在的な孤独とそれ以上に重く雲がかる愛する恩師との別れ。
6月はハリーだけでなく、アンサンブルをはじめ多くのキャストの交代があった。昨年のプレ公演からのキャストには思い入れがある。ちょっとした寂しさは拭えないけれど、なかでもダンブルドアの新しいキャストに驚きと心が弾んだ。


間宮啓行さん。彩の国シェイクスピアシリーズの常連俳優であり、竜也さんとは対峙する役を多く演じてこられた方が、エイモス・ディゴリー、そしてアルバス・ダンブルドアの肖像画を演じられる。

セドリック・ディゴリーの父親であるエイモス・ディゴリーは、『呪いの子』ではヴォルデモーにより不当に奪われた息子セドリックへの執念に憑りつかれていた。(舞台版ではVoldemortのtを発音しない)
エイモスは魔法省の役人となったハリーに、タイムターナーの在り処を聞き、時間を巻き戻してセドリックを救うように懇願する。
「spare(代用品)を殺せ」と、セドリックはハリーの目の前で殺された。優秀で人望も厚く美しい息子は、ハリーと同じトーナメント会場にいただけで殺されてしまった。そのやり場のない怒りを大人になったハリーにぶつけるエイモスは、車椅子に乗る1人ぼっちの老人になっている。

「息子を奪われた父親」であるエイモスと「自分のせいでいつも人が死ぬ」と心に傷を負うハリーとの対峙は、観るたびに胸が締め付けられる。
間宮さん演じるエイモスの冷静さを欠きながらハリーに迫る表情は、しかし悲しみに暮れる老人の哀愁と焦燥が確かに滲んでいた。ハリーのどこか突き放すような態度。改めて残酷な話だ。お二人の美しく影を落とす憂い顔も魅入ってしまう。
原作や映画に触れ『炎のゴブレット』が最も好きなパートであったので『呪いの子』の戯曲を読んで心から楽しみにしていた関係性だったが、重ねてダンブルドアの存在がまた涙を誘うのだ。

ダンブルドアはもう死んでいる。
それでも魔法界では、肖像画にその魂が宿ったかのように、絵の具と記憶として、生前のように会話ができる。
肖像画であるダンブルドアから「死が分かてないものもある」とハリーを諭す言葉は「記憶」であり、彼が生前ずっと抱えていた想いなのだろう。
「愛を感じられないところ」に一人置き去りにされたと訴えるハリーの悲痛な声はまるで”みぞの鏡”で両親の姿を映し、魂を奪われたように見つめ過ごしていた幼いころに重なってくる。

第一期ダンブルドア(写真) 福井貴一さん

竜也さんが俳優として演劇の世界に生まれて26年。
若々しく、美しく、生々しく、奥深く、20歳で耽美俳優と称された面影を残しながら、血の通った言葉を届かせる呼吸は止まることなく進化し続ける。
虚構のなかの観念的な言葉ですら情景として魅せてしまえる表現力。しかし、そのおよそ手の届かない芸術性に庇護欲を掻き立てるアンバランスさ。
いったいいくつまで若返ることができるのかと恐ろしくなるが、15歳の頃の彼のまま、変わらないからこそなのだろう。
立ち止まらない。一気に駆け抜けていく。

昨年プロフェッショナルの記事でも振り返ったが、ダンブルドアとハリーの関係性は、ハリーポッター本国チームの演出家ジョン・コナーにも指摘されるほど、蜷川幸雄さんと竜也さんに類似している。

蜷川さんの演出するさいたまシェイクスピアシリーズでも、間宮さんと竜也さんは共演されてきた。
お二人が演じられるダンブルドアとハリーに心躍らないはずがない。

役者の組み合わせによっても、解釈に多様性が生まれるのがお芝居の面白いところだ。同じ戯曲を繰り返し演じられていても、観客が違えば役者に伝わる感情も違う。芝居をする彼らを観ていれば、客席に言葉を届けるだけでなく、リアクションもキャッチしてくれているのだとよくわかるのだ。

昨年から数えて、この6月でちょうど鑑賞20回目だった。プレ公演から感情豊かなロンを味わい深く演じ続けてくださった竪山隼太さん。テレビの印象と変わらない可愛らしさと、圧倒的な表現力で周囲を包んでくださったマクゴナガル校長役、榊原郁恵さん。呪いの子で初登場ながらも印象的な立ち回りで物語の中心にいたクレイグ役の岡部雄馬さん。
大好きなキャストさんたちと竜也さんさんの共演を最後に観ることができてうれしかった。

呪いの子で知ったキャストのみなさんのこれからがとても楽しみになるほど、舞台を支えてくださる方々が大好きでたまらない。

あと何回観れるだろうか。
同じ舞台は二度とない、その一瞬を見逃さないように、喜びと感謝は拍手にこめながら、刻みたい。


そしてこの夏も、いろんな方に
舞台ハリポタの感動が届きますように。