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今後のための、ライターを続けてみて抱いた「楽しさ」と「違和感」

これは完全なる備忘録。誰でもない自分のために、メモを残そうと思う。

※ライターと一口に言っても、いろんな働き方がある。下記に書いたのは、“いま”のライター活動で感じた「楽しさ」と「違和感」にすぎない。

楽しさ

■他の人の考えを、自分にインストールすることができる
いまはインタビュー記事をメインで書いているので、生身の人間と相対することが多い。そこで聞けるのは、その人の人生哲学や頭のなか。「そんな考え方があるのか」と衝撃を受けることも少なくない。記事を執筆するということは、受けた衝撃を一度内面化して、文章の形にアウトプットするということ。一度、自分というフィルターを通さないといけない。その過程で、他の人の考えが自分にインストールされることがある。常に自分がアップデートされる感覚だ。この感覚は、純粋に楽しい。

■問いを深めることができる
これは、自社メディアの運営に携わっているからかもしれない。いまは自ら企画立案し、インタビュー&執筆を行っている。つまりは自分で問いを立てて、その問いに資する人へアポをとり、話を聞くということ。自らの問いが起点になっているので、知的好奇心が満たされる感覚が強い。問いを立てて、話を聞き、内省し、新たな問いを立てる。その繰り返しを積み重ねられるのは大きな喜びだ。

■「書く」という行為自体が楽しい
文章という形のアウトプットを出すには、頭のなかにある有象無象の考えに輪郭を与えないといけない。一発でバシっと決まることは少ない。ああでもないこうでもないと、なけなしの語彙力を総動員して、思考に枠組みを与えようとする。その作業が楽しい。頭が整理される感覚。ランナーズハイならぬ、ライターズハイになることも多い。

違和感

■どうしても個人作業がメインになる
ライターのメインである執筆作業。最も時間がとられる作業であり、ライターの本質を司る作業である。この根幹の作業は、基本的にひとりで完結してしまう。もちろん、他の人と壁打ちすることはあるけれど、自らの頭のなかとの孤独な戦いだ。それが楽しいこともあるのだが、孤独な戦いが続くと気持ちが参ってきてしまう。これは僕の特性が大きいのだろう。どちらかというと、仲間との試行錯誤で成り立つ仕事を望んでいる。その望みから考えると、少し違和感が出てくるのも仕方がないかもしれない。

■相手との関係が“点”で終わってしまうことが多い
取材をお願いして、話を聞かせてもらって、記事にして世の中に出す。相手の人生と自分の人生が交わるのは、その流れのなかでのみなことが多い。記事を世に出したあとは、また違う人に対して点を打ちにいく。その連続で成り立っている。関係性が点で終わり、線や面にならない。それが単純に寂しいのだろう。

■「このひとのために」を感じにくい
記事の執筆は楽しい。けれど、記事を届ける相手が目に見えにくい。メディアという特性上、不特定多数に向けて情報を発信する。そのことの影響力は大きいだろう。けれど、「このひとのために」という想いは持ちづらい。それが寂しいのだ。これも僕の特性なのだが、「目の前の人に全力になりたい」という望みがある。望みというより、その方が自分が本気になれるからだ。その特性を考えると、不特定多数への情報発信を生業とすることに違和感を感じてもおかしくはない。

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上記の楽しさも違和感も、両方大事にしたいと思う。

ライティングという根幹は変えずに、人との関わり方を変えるのが正解かもしれない。ライティングという根幹自体を変えるのが正解かもしれない。

答えは焦らずに探究すればよい。その探究のために、現在地を明らかにしたまでだ。

試行錯誤は続く。

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