没頭の奴隷になっていたら、いつまでも虚無感とは向き合えない。
仕事に没頭していたら、一日が終わっていた。そんな日は、案外と満足度が高い。やることはやったし、考えたいことは考えたし。身体と頭を、心地好い疲労が包んでいる。
明日もこうだったらいいな。
そう思って、ふと気付く。僕は仕事の奴隷になっていないか。と。
嫌々やっている、というわけではない。本気でやっているし、良いものをつくっていると自負しながら働いている。ライフワークにも近い。
仕事の奴隷という言い方が良くなかったな。
僕は、没頭の奴隷になっている。
没頭していたら、時間はあっという間だし、不安が入り込んでくる隙間もないし。没頭は、ネガティブを遠ざけてくれると誰かも言っていた。
でも、これって没頭に依存しているだけ。ぽっかり時間があけば、またすぐに虚無感が襲ってくる。没頭によって、見ないふりをしているだけなんだ。
僕が本当に望んでいるのは、没頭しなくても、生きてゆく虚無感と向き合えるようになること。目を背けて、なかったことにすることは望んでいない。
没頭それ自体は良いことだ。幸せも感じる。けれど、それを虚無感に向き合わない言い訳には使いたくない。
虚無感を見つめる態度を鍛えないと、どこかで糸がぷっつりと切れてしまうことを知っているから。
没頭の奴隷にならないように。虚無感と向かい合えるように。
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