短歌にふれる 十首目:痛くて、命綱になる歌
このシリーズは、短歌に惹かれはじめた筆者が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を味わってみる試みです。日課にしていきたいので、500〜1000字で。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。
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今日も、野口あや子さんの歌。引き続き、短歌研究社さんから出ている歌集『くびすじの欠片』で出会った。
希望というには儚いけれど、指の先がたしかにひっかかる命綱、のようなものが胸に芽生える歌だと思う。多分だけれど、死者も生者も含めた「わたしたち」のやわらかいところ。
命綱でもあり、日常的には見失ってしまっているものでもある。だから、この歌に触れると痛みも生じる。花火を綺麗と思って“しまう”自己。
なぜ、思って“しまう”、のか。戦う意味は知らないのに、戦えてしまう残酷さがあるから。それは無垢さでもあるかもしれない。
意味なんて知らずとも戦えるくせに、花火は綺麗と思ってしまえるわたしたち。儚さに心打たれつつ、儚さを破壊していく。その二面性を冷静に浮かび上がらせる。痛い歌。
それでもやはり、命綱のようでもある。わたしたちを、化け物にさせる一歩手前で留まらせてくれているもの。そんな存在が、胸に映し出される歌だと感じる。
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