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幸せを追い求める日々を、自分に許そう。

幸せを追い求めたらダメだ。そう思っている自分がいた。「こんな僕なんかが……」という罪悪感や後ろめたさがあるわけではなく、なんだか幸せになったら終わってしまう気がして。

満たされてしまうと、渇きがなくなる。渇きがなくなると、頭の回転が止まってしまう。そんな気がして。

だからなのか、無意識的にではあるけれど、幸せや心地の良さ、満たされている感覚を追求してこなかったように思う。思考が終わってしまうのが怖かった。

きっと、満たされない日々は自分で選んでいたんだ。そんな自分の方が好きだったから。

でも、いま生まれてはじめて、幸せを追求する日々を過ごそう、と思えている。

ひとつの理由は、幸せは結果ではなくプロセスなんだ、と考えたからだ。いままでは、辿り着くものだと思っていた。ひとつひとつの満たされなさを埋めていって、心が満ちている状態。その状態になってはじめて、幸せを感じるのだと。だからこそ、幸せになったら思考が止まる気がしたのだろう。

けれど幸せは、満たされなさを埋めた結果ではなく、満たされなさと対峙して足を動かし続ける行為そのものなのではないか、と思うのだ。

幸せは、苦労や苦悩がない状態ではない。苦しんで、もがいて、悩んで。その時間自体に見出せるものが、幸せなのではないか。

目指して到達するものなのではなく、日々の営みを重ねるなかで自ずと生まれるもの。つまりは、幸せを感じるようになったからといって、思考が止まるなんてことはないんだ。むしろ、思考を止めると幸せを感じることはできなくなる。歩き続けないと、頭を回し続けないと、幸せはスルリと逃げていくんだ。

……この個人的な解釈が腑に落ちて、ため息をついた。あぁ、幸せを求めても良かったんだな、と。満たされるための努力を重ねても、よかったんだな、と。

幸せは、到達点じゃない。プロセスに見出すもの。幸せになっても、思考は止まらない。だから、安心して満たされようとすればいい。

幸せでも、苦悩する。いや、苦悩するから幸せなんだ。

幸せを追い求める日々を、自分に許そう。そして、考え続けよう。

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