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推し

さくです。
明日も早いので寝なければ、と思いながら、できる限りnoteの更新は続けたい、と寝る直前にPCを開いて書いています。

今日は「推し」について考えていました。
自己紹介に書いたのですが、私は今SnowManにハマっていて、その中の一人を特に推しているんです。でも、なんとなく彼のことを「推し」と呼称するのにはまだなんとなく躊躇いがあって。これまで私がアイドルを趣味としてこなかったため、少し恥ずかしさがあるのは事実なのですが、少し考えたところどうやらそれだけではない感じがするので、書いてみます。

まず考えついたのは、「推し」と呼称することによって私の妙なコンプリート癖と負けず嫌いが出てしまうということです。どういうことかというと、推しているからには、出ている番組やインタビューを受けている雑誌や、その他いろいろすべてのコンテンツを追いかけてチェックしなければ、と感じてしまうこと。他の人が見て知っていて私が知らない彼の姿があるのは嫌だ、と感じてしまうこと。でも時間やお金の制約があってすべてを追うことは叶わないので結果的に、早くチェックしなきゃ、見たかったのに見られなかった、といった気持ちでしんどくなってしまいます。

次に、「推し」と呼称することによって否応なく歴やステータスを意識してしまうことです。これは特にアイドルのファン界隈で傾向が強いのかもしれませんが、新規・にわか、といった言葉もよく使われるように、ファン歴は長い方が良しとされることが多いと思います。もちろん、デビュー前やデビュー時からずっと一途に応援していることは本当にすてきなことです。でも正真正銘ド新規の私は、歴なんて関係ない、新規は新規なりに楽しむんだ、と口では言えますが、私は彼のことを推しているけれど私が知るずっと前から彼のことを見てきた人がいるんだ、と思うとちょっと寂しい気持ちになってしまいます。あとはステータス、これだけコンサートにいったんだとか、彼を想ってこんなものを作ったんだとか、買ったんだとか。そんなこと思う必要はないと分かっていても、なにもしていない、ただ画面越しに観ているだけの私は本当に彼を推しているといっていいんだろうかと思ってしまいます。

私がもともと考え方が後ろ向きなことも大いに影響していると思いますが、ただ好きな人を好きなだけ応援出来たらいいのに、と思いつつ、そうでありたいと思いつつ、こんなことを考えていました。
もう少し、今日の話に関連して頭の中を整理したいことがあるのですが、もう寝なければならないのでこのあたりにして、また明日の記事で書こうかな。おやすみなさい🥱

さく

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