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制作現場でよく起こる齟齬。双方に生まれる「裏切られた」という体感について。

制作の現場にいると、全員が物事を良くしようと動いているのに、お互いに「裏切られた」と感じてしまう状況がしばしば発生する。
自分の場合はデジタル制作業界だけど。

はじめに約束したのに。何度も同じことを言ってるのに。
全然話を聞いてもらえない。蔑ろにされている。
こちらは誠意を持って対応しているのに、裏切られ続けている。

という感覚が関係者の双方に生まれてしまう状況。
これの当事者になったこともあるし、仲裁する立場になったこともあるのだけど。

主には、利害の異なるステークホルダーの間にいる人間が気を使うあまり、伝えるべき情報をうまく伝えられていなかったり、言いにくい条件を遠回しに伝えようとして結局何も伝わっていなかったり、単純にコミュニケーションスキルがなかったりすることで起こっている事が多い。

伝えることと、伝わることの間には大きな隔たりがあるもので。
伝達者の機能不全で多くの不幸が生まれる。
誰にも悪意はなくとも。悲しいかな。

しかし、一度不信感を覚えてしまうと、これまで許容できていたこともできなくなってくる。
この前のあれもそうだったし、以前からのあれもそうだし、だいたいあの時だって・・・と過去に遡って「裏切られた」経験が溢れ出てしまう。

いまニュースになっている原作者とテレビ局の間の、ドラマ化に関する内容改変問題がこれに類するのかは分からないけど。

あえて「利害の異なるステークホルダー」という文脈に乗せて考えると、
作家には人生を賭して作品を生み出す動機があるのに対して、
メディア側は良いコンテンツを多くの人に届けるというミッションがあり、根本的に動機が異なっているように思う。
なんというか、作家にとって面白さは思いを届けるための手段だが、メディア側にとっては面白さが目的になっているというか。
創作者と職人の違いというか。

どっちが良い悪いではなくて、動機が異なるために必然的に衝突するものだということ。
それをネガティブな体感にするのか、生産的コンフリクトにするのかは、
間に入った人間の動き方でかなりの部分が決まる。
とっても難しいんだけど。でもそれが仕事なんだろうと思う。

自分の仕事にもそういうところがある。
果たしてこれまで自分は仕事の中で誰かを傷つけたりしていないだろうか。
あまり、自信はない。

感情的にならず、人の話をよく聞き、
伝わるまで伝えること。
誰かの行動を変えさせようとするのではなく、自分の行動を変えること。
相手の立場についてよく考えること。


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