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妄想爺のとんでも史観 (36) 天照大御神

妄想爺のとんでも史観 (36)

 天照大御神

 伊勢神宮のご祭神は、天照大神。
 以前に書いた様に、ヤマトの三輪の神と伊勢の神は、

 思へば伊勢と三輪の神  思へば伊勢と三輪の神  一体分神のおんこと  いまさらんいといはくら(言・磐座)や

 考えてみると伊勢と三輪の神とは
 もともと一体の神 それが二つに身を分けて出現なさっということは 今さら言うまでもない

 と、謡曲で詠われています。

 伊勢の神は男神でした。
 天照大神は女神になりました。
 持統天皇、鵜野讚良姫がその女神になりました。
 自らなったのでしょうか?人々が推しいだいたのでしょうか?いつの間にか、そうなったのでしょうか?
 出雲の国造家、千家氏は、「出雲大神の祭祀を専修する国造は、その身に大神が依りかかることから御杖代と呼ばれ、大神と神慮一体の生き神様と敬われている。」と言われているそうです。
 祀る人が祀られる人と一つになる。
 鵜野讚良姫の出自に関わる三輪の神。壊れかけた国を踏み留めた女神をその神と同一化して祀る。それが人々の総意だったのではないかな?、、、、と思うのです。

 父は天智天皇(中大兄皇子)、母は遠智娘、母方の祖父が蘇我倉山田石川麻呂。姉が大田皇女。
 天智天皇(中大兄皇子)は、伽耶、任那の国の王子と考えています。
 扶余 豊璋(後の中臣、藤原鎌足)は利害の一致する隣国百済の王子です。
 蘇我倉山田石川麻呂は、新羅と関係の深い蘇我一族。
 高句麗やその先の随からの圧迫、侵攻、侵略を跳ね返す為の同盟や裏切り、深謀遠慮、騙し合い、右手で握手、左手に刀を隠すそんな時代。
 応援や同盟保持を得る為の人質に選ばれる女性たちは、貢物かお供えか、、、
 当主からの「命令」と言うより、肌身に直接わかる情勢で、自らの意志を含め相手国のリーダーの元へと身を委ねた。
 一番の宝は、国の民。宝飾品はある程度の贈答品にはなるものの、国力とは生産力、人の力。その宝が失われる事が無い様にと、、、、

 それを体現した遠智娘。その娘として生まれた大田皇女と鵜野讚良姫。しかも生まれた後には娑羅羅馬飼造を養育係として育ちます。
 これはリスク分散だったのでは想像します。ボディーガード兼、疎開先みたいな。
 とすると、考え方や判断基準に、父親の影響はあまり受けないと思われます。
 母親や養育係の話す言葉が蓄積されていきます。
 シングルマザー家庭や母親養育主導の男の子が増えてきている現代、考え方や判断基準の偏りが見られます。悪い事ではありませんが。

 「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」と言う歌が万葉集にあります。
 半島の混乱と、それから起きたこの国の混乱とを憂い、お供え物として生きて、この国の民を平穏な暮らしへと導くために生きた一人の女性。
 その役目を【もう、いいよね、、、あとは大丈夫よね、、、】と、軽皇子、文武天皇へ譲位したとされています。

 三輪の神は大物主、ニギハヤヒ。物部氏の祖。それぞれの時代の王、リーダーがその人材や生産力を当てにされて、受け入れ続けてきた豪族物部氏。
 鵜野讚良姫の母、遠智娘は蘇我氏の男の娘であっても、物部氏の母の娘でもあります。
 ヤマト周辺やこの国の有力豪族たちは、物部氏の姫君と言う認識だったのではないでしょうか?
 祖先のニギハヤヒの元で、祀るものとしてこの先を生きる事を、周りの豪族たちに勧められた。もしくは死んだあとに祖先と同じ扱いとした。

 【鵜野讚良姫、、、さんざん利用して、ごめんね、、、、、最高神として祀るから、許してね。】

 時には酷い悪女として書かれる鵜野讚良姫。私はどうしても、悪女に思えないのです。
 本当のところは、、、、どうだったんでしょうか?
 何で、鵜飼いの鵜の字を充てたのでしょうか?

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

(ネタ切れです。当面、妄想爺のとんでも史観は休みます。)

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