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妄想爺のとんでも史観 (9) 出雲

 出雲

現在の島根県は、出雲と岩見、隠岐という3つの地域から出来ています。
 その出雲、厳藻(イツモ)説、厳雲(イツモ)説、五面(イツオモ)説、エツモイ説(アイヌ語)説、夕つ方説、、、
 出雲の国風土記では八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が「八雲立つ」と発したことを出雲と名付けた根拠として記すのみ。だそうです。中東の古代語で読めば、分かるかも知れません。

その島根県には、面白い神社があります。
 超有名な、出雲大社(いずもおおやしろ/いずもたいしゃ)。明治までは杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)。
  大国主が納める葦原中つ国を天照大神の孫に譲れと言われて、閉じ込もった神社。(主祭神はひねくれているのか、そっぽを向いています)


 その近くには熊野大社。出雲大社の宮司である千家の元、出雲国造家の氏神。天照大御神、須佐之男大神、天穂日命を祀ります。
  大国主に、「この国、頂戴。」と交渉した一人、天穂日命の前線基地。

 島根半島の東側に美保神社。大国主の息子、事代主神を祀っています。
  恵比須神社の総本山。天の逆手(後手で縛られ)、青柴垣に変えて、船を踏み傾け、海の中に隠れました(ん、殺された?自殺した?)。

 そして、岩見の国にある物部神社。物部氏の初代の宇麻志摩遅命や祖神である饒速日命を主祭神としています。
  ニギハヤヒは物部氏の祖とされていて、その子がウマシマジ。侵攻派遣最前線の一つ?

出雲の国譲りって、何?

『出雲国造神賀詞』では記紀と少し異なる国譲り神話が語られています。
 高天原を治める高御魂命(高御産巣日神)が出雲国造の遠祖・天穂日命を国土の視察に派遣しました。
 天穂日命は地上をくまなく視察した後、「豊葦原水穂国は、昼はハエのように喧しく、夜は炎のように光り輝く荒々しい神々が蔓延り、岩も木も青い水の泡までもが物言う荒れ狂う国である」と報告し、自分の子である天夷鳥命(あめのひなとり)に布都怒志命(経津主神)を副えて地上へ派遣しました。
 荒ぶる神々は平定され、地上を開拓経営した大穴持大神は国譲りに同意しました。すると大穴持命は自分の和魂(大物主神)を大御和社に、更に子たち(阿遅須伎高孫根命・事代主命・賀夜奈流美命)をそれぞれ葛木の鴨、宇奈提(うなせ)、そして飛鳥に鎮座させて、皇室の守護神としました。
 そうした後に、大穴持命自身は八百丹杵築宮に鎮まり留まったといいます。 By Wiikipedia

その場で始末した話と、飛鳥に連れて帰った話と色々ありますな。元々、出向していた人も居たと思います。
 人一人の話じゃ無く、一族の誰かは始末され、誰かは連行され、誰かは追放され、生き残った誰かが、生き抜いた場所で、それぞれの思いで、物語を紡いできた。って事だと思うのです。
技能派集団、技術者、特殊能力者は、人質と一緒に さらわ われて行ったのかも知れませんね。

そう言えば、島根県に亀嵩と言う地域があり、そこはズーズー弁で東北地方と同じだそうです。
 元々は出雲地方の話言葉だったズーズー弁が、移住、追放、流浪の地の東北で根付いて行ったとも考えられます。(大陸のかなり向こうの方の寒い地域から移住してきたとも、考えられます。その人達の喋り方がズーズー弁かも。)
 逆に東北地方から人を連れて来て、在地の出雲の人と入れ替わり定住したとも考えられます。
 お、東北の民は 蝦夷 と呼ばれていましたっけ。 エミシ? エビス? あずまえびす?

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

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