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雑感 28「命に嫌われている」を聴いて、”生きる”について考えてみた。

雑感 28
「命に嫌われている」を聴いて、”生きる”について考えてみた。

2021年12月31日。たまたま電源を入れたテレビで、長時間にわたる歌番組が放送されていた。
その電源を入れた時、”まふまふ”と言うアーティストが「命に嫌われている」という曲を歌っていた。

その曲に、衝撃を受け、、、、なかった。

YoutubeMusicのお気に入りシンガーのプレイリストの中で、以前より聞いていた曲の一つ。

「硬直化した現代社会の中で、不自由な状況に置かれている若者の叫びだ。」とか、
「辛い生き方しか出来ない貴方の心情に思いを馳せ、傷ついた心にそっと寄り添い、セーフィティネットの充実を、、、、、、、、、」とか、、、、

そんな事を言う 心算つもりは毛頭無い。
そんな事を言えるほど、俺は偉くない。金持ちじゃない。その言葉で自慰行為などしたくない。

俺が音楽に興味を持ち始めた時代は、ベトナム戦争とか安保闘争とか学生運動とかの少し後の頃。
岡林信康、ピーターポールアンドマリー、ボブディラン、泉谷しげる、吉田拓郎、かぐや姫、グレープ、、、、
自分の心の表現を楽曲に乗せる。内容は社会的な問題とかを優しい言葉に ぼかしてた。貧しさや世間的に認められない不遇な状況を織り交ぜ、愛とか恋とかを直接に歌う。
方法や表現の仕方が違うが、ベクトルは同じじゃん。
その内に、尾崎豊、ブルーハーツ、Xジャパンとか出てきて、、、、やっぱ、ベクトルは同じじゃんと思う。
もちろん歌詞の内容が違うから、言いたい事はそれぞれの思いで違うのは当り前で。
それぞれの時代で、共感を多く得た人たちが記憶に残り、次世代の中からまた、共感を多く得た人たちが記憶に追記されていく。

その繰り返しなんだ。

「命に嫌われている」の歌詞の中に
”年老いていつか枯れ葉の様に、誰にも知られずに朽ちていく” と言う部分がある。
【理想だよ。おれもそうしたい。そうやって死にたい。見守られてなんか、迷惑かけるだけだし】と思う。
姥捨て山がないものかと探してる。ここなら誰も来ないと言う場所を探してる。
「あの人、何処行ったの?」「うん、、、、黄泉の国。」「あ、そう。」
そう言って貰える人になりたいと思ってる。

しかし、今は死ねない。
もし死ぬなら、纏まった金を残して死にたい。
当面の間、パートナーが暮らしていける額。娘が大学に行けるだけの額。
それが理想だが、そんな保険には入っていない。入れなかった。入ろうとも思わなかった。身の丈に合ったものにした心算だったが、間違っていた。
ならば、今は死ねない。自分に蓋をして、働く。自分を殺してでも、家族の為に生きる。
そう決めている。覚悟をしている。

まふまふの曲に共鳴し、自己を投影し、今を憂う若者達。
”好きにしろ。”
ああしろ、こうしろ。あれはダメだ、これはダメだ。とは言わない。言えない。聞いて貰えるとは思わない。
俺は、、、動かなくなった体を動かし、見えにくくなった目を凝らし、痛くなった腰をさすりながら、みっともないと人から笑われながら、
邪魔だと押し退けられながらでも、もう少し、俺は働く為に、生きていく。
家族の為に、一人残されるだろう娘の為に、這い蹲っても働く。
俺の生き様を見ろとは言わない。いや、見ないでくれ。目に入っても無視してくれ。罵っても構わないから、直ぐにどっかに行ってくれ。

年初に当り、今年と言うか、今後の抱負を述べてみました。訳分んねえ、くだらねえ、と一笑に付してください。
こうやって、僅かに残る自分の事を残せる事の出来るnoteに感謝します。
やまとやじろべえでした。
では、また、ごきげんよう。


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