花火と椿の花言葉-②
「ねえ、椿。聞こえてる?」
あ、そうだ。私は今、友人と飲みに行くところだったんだ。
「…うん、ごめん。聞こえてる。花火大会の話だよね。」
「そうだよ、今年は花火もオンラインか~。そう考えると昨年無理やり彼氏でも作って行っておけばよかった~!」
「そうね…。」
「あ、でも椿は花火大会なんて興味なさそうだもんね。浴衣着て花火見てるなんて正直あんまり想像できないや。」
友人は笑ってそう言う。
「私だって高校生の頃に地元のは一回だけ行ったよ。でもあんたの言う通り、こっちに来てからは浴衣は着てないなあ。」
……嘘。いや、嘘はついてないか。浴衣は着ていないけれど花火大会は行った。
思い出したくないような、思い出にしたいような。
そういえば一年前の今日だったな、と。
いつも通りの帰り道。
あの日は何故か、東京タワーが点灯していなかった。
毎晩ご丁寧に赤いのも嫌だけど、こうやって満月の月明かりの下、存在感だけあるもの嫌な感じだなと思いながら通り過ぎようとしたときのこと。
「お姉さん。『月が綺麗ですね』って漱石が何て訳したか、って知っています?」
おっと。やばい人につかまったぞ。
「やばい人につかまったなんて思わないでくださいよ。お姉さんの人生を一本の映画に例えたら、今夜いきなり現れた僕は単なる通行人Aですよ。僕と出会ったことで、ここから物語が動き出すかもしれない。そう思ったら答える気になったりしませんか?」
ならんわ。何でそうなるねん。
「……『あなたを愛しています。』じゃないんですかね。」
一刻も早く帰らせてくれ。何でこんな意味の分からん人間の相手をしなきゃならんのだ。
「ね。やっぱりそう解釈している人が多いですよね。本当は違うんですよ。漱石がね、英語教師時代、『I love you』を訳すときに、『日本人は愛してるなんて日常的に言わないから、せめて月が綺麗ですねくらいにしとけ』って言ったっていうのが由来らしいですよ。まあ諸説あるんですけど。」
笑いながら目の前の彼は言う。
「ま、というわけで僕はそろそろ帰りますね。また会ったらお話ししましょう。」
そう言って彼はベンチから立ち上がり、駅の方へ帰って行った。
それからというもの、偶然なのかはわからないが、彼は満月の夜に必ず現れた。しかも毎回文学的な何かを一つだけ教えては去っていく。当初は彼に対して抱いていた不信感も、いつの間にか消えていた。むしろ満月の夜が楽しみにさえなっていた。
「ねえ椿さん。僕ね、椿の花が一番好きなんです。椿の花には怖い昔話だってあるけれど、花言葉が【控えめな素晴らしさ】とか【気取らない優美さ】とか。あとあの上品な赤色が、まさに日本の美!って感じじゃないですか。だからそんな名前を持っているあなたが羨ましいし、素敵だなって思います。……声をかけたのだって、椿みたいな品のある女性だなって直感的に感じたからなんですよ。」
恭太と名乗る目の前の綺麗な男性に少しずつ惹かれるもの無理はなかった。だから、彼にいつものこの場所で花火を見ようと言われたとき、返事を迷うことは無かった。
音は波だ。その日見た夜空には、今まで見てきた中で一番綺麗な花が咲いた。
重ねた手から互いの心拍数が伝わり、私と彼の波形が美しく共鳴していることを、夏の匂いと空に浮かぶ大輪の花が証明してくれているようだった。
夏の夜空に響く音と共に、何も言葉がなくとも、私たちは通じ合っていた。
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