見出し画像

父親の自覚はいつから



1月が終わる。
25週入ったあたりから、破水もオレンジやピンクがかって、出血混じりになっていた。
毎週採血して、血液検査して、毎日膣内洗浄とエコー。
破水している以外は何も問題なく、赤ちゃんも順調に成長していた。

痛みやお腹の張りがない限り、先生や助産師さんの反応も、私の気持ちも、様子見でいきましょうと落ち着いていた。


朝起きて、朝ごはん。
診察があって、NST(赤ちゃんの心音やお腹の張りを診る)をして、お昼ごはんを食べて、買ってきてもらってるおやつを食べて、シャワーを浴びて、晩ごはん。
夜は毎日夫とテレビ電話をして、消灯、就寝。

ごはんや診察の時間、起きる時間も寝る時間もだいたいずっと同じ生活がもう1ヶ月以上経って、日常になっていた。

毎日定期的にナプキンを替えて、感覚が生理みたいで気持ち悪いけど、そのこと以外は何も起こらなくて、このまま予定日まで(5月)いくんじゃないかなと思えるほどだった。




入院してから、胎動を感じた。
なので、産まれるまで夫は胎動を感じることはなかった。

毎日のように動くお腹の様子を撮影して送ったけど、触れさせて、感じさせてあげられないのがもどかしかった。


私は夫を父親にしたくて、子どもを産むことを決めた。
この妊娠の後悔があるとすれば、夫と共有できなかったこと。
胎動も、胎児のしゃっくりや、私の変化していく身体。
一緒に感じて、出産を隣で楽しみにしてほしかった。


何も変化がなくて、このまま春までここにいて、正期産で産めるんじゃないかなと夢をみるくらい産婦人科病棟の501号室の住人だった。
様々なリスクを抱えた妊婦さんが入れ替わり、出産を迎えていくのを横目に、結局2月もずっと私はそこにいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?