自分の好き、を「思い出した」話
はじめまして。せやま南天です。
文章を書くのが好きです。
しばらく忘れていました。
のっけからすみません。
何を忘れていたかというと、
文章を書くのが好きってこと、をです。
自分の好きなことを忘れるって、あるんですね。
大人と呼ばれるくらいになってしばらく、
こうある「べき」
こうする「べき」の壁に囲まれて、
自分の好きが見えなくなっていました。
壁に囲まれた話は、おいおいしましょう。
なんたって初回ですからね。
今日は、好きを「思い出した」話です。
少し前、友人の結婚式がありました。
コロナ以前の話です。
壁を作りがちな人間なので、
友人って呼んでも許される知人は、ほとんどいません。
そんな私に、友人代表のスピーチをさせてくれた大事な友人です。
スピーチの原稿は、喫茶店の端っこで、
鼻水が垂れるほど、泣きながら書きました。
途中で、ランチを食べに来たサラリーマンに
チラチラ見られました。
取り消し線だらけの原稿を、
書くのに何時間も居座りました。
そうとう、迷惑な客です。
そんな風に書き上げた原稿をもって、
のぞんだ結婚式。
読み込みすぎて、ほぼ覚えていました。
せっかく代表に選んでくれたんだからいいものを、という気持ちも、もちろんあったのですが、それ以上に自分の書いた文章が好きでした。
定型句は一切いれません。
小学生で出会った頃、お猿さんのように走り回っていた彼女が、
美しい花嫁さんになるまでの物語のように書きました。
スピーチのあと、新婦のご両親が、ビール片手にあいさつにきてくれました。
「ありがとう、ありがとう。泣いてしまったぁ。せやまさん、小説家になってなぁ!」
そう言われてハッとしたんです。
そうだった。
彼女と出会った頃、
私は文章を書くのが大好きで、
国語の作文で花丸をもらうのが自慢で、
小説家になりたいって話してたんだった。
きっと彼女は、その話をご両親にもしたんでしょう。
難しさなんて考えずに、好きかどうかだけで夢を語っていた頃があったんです。
スピーチは大好評でした。
新郎新婦にも、ご両親にも、友人たちにも。
途中で笑ってくれたり、涙を流してくれた人がいました。
あぁ、
文章っていいな。
こんな力があるんだな。
好きだな。
思い出しました。
「べき」の壁は分厚くて、
すぐに実行はできなかったけれど。
それで今、ここにいます。
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