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喪に服す時間さえネタになる我が家

 この記事の続きみたいなものである。


 母方の祖父が亡くなった日の夜、家に帰ってからお線香をあげにいくときれいに化粧したじいちゃんがいた。
 お線香台の隣に供えられたお団子を指して、祖母が「枕団子っていうんだよ。六個と決まっているんだよ」と教えてくれる。

「おばあちゃん、七つある気がするんだけど?」
「え? ……あれ、ホントだ」

 不謹慎にも笑ってしまう。

「おまけだよ、おまけ」

 叔母がうそぶいていた。


 翌朝、家族それぞれが喪服の捜索を始めた。僕の場合は10年くらい前に買ったものが、一度も袖を通すことなくクローゼットのどこかにしまわれているはずだった。
 用立てたのは確か父方の祖父の七回忌のためだったが、雪のせいで出掛けるのが億劫になってしまったのだ。父の地元は田舎なので車椅子が不安だったのもある。それから約10年、僕の身内には不幸がなかった。(ちなみに父方の祖父が亡くなったのは僕が中学生の時なので、制服で葬儀に参加している)

「お母さん、見つかったけどファスナーが上がる気がしない!」
「ウソ?」

 残念ながら本当である。お腹周りも増えたけど、もっと酷いのは車椅子と杖での歩行とアーチェリーで鍛えられた肩から胸だった。
 改めてジャケットを見つめながら、10年前の自分はこんなに小さかったのかと途方に暮れる。

「まだタグ付いてるのに。この服結構可愛いのに……」

 ただの喪服だけれど、二十歳の学生のセンスで選んだそれは地味に洒落ていたのだった。
 もったいないから誰かにあげる? いやいや、三回忌までに痩せるからとごねてみる。これから装具着けて歩くし……胸とか肩にはあまり関係ないけれど。

 さて、嘆いている暇はない。再度クローゼットを大捜索し、代わりを見つけなければならない。
 なんだかんだ家族で一番服のサイズが小さい僕は、いろんな人のお下がりに袖を通してみる。

「最悪、買いに行けなかったらこれだね」

 母に渡されて試着した黒のスーツを、ハンガーにかけ直していたところで僕は首を傾げた。

「……これ、僕のリクルートスーツじゃない?」

 喪服を探している文脈で渡されたから、全然気付かなかった。しかも3年前に着ていたスーツまでどうしてこんなにパツパツなのか。いや、買ったのは6年前だっけ。
 そもそも大前提として僕の職場は服装規定がないので、僕のタンスやハンガーラックにはきれいめカジュアルが多い。スーツはリクルート一着しか持っていないし、就活が終わって完全にしまい込んでいた。


 その日の夕方、旦那の実家に住んでいる姉が我が家に到着した。旦那さんは今回ドライバーであり、挨拶してお線香あげて夕食前には帰っていく。
 弟たちの都合で晩ご飯が少々遅くなったため、2歳の姉の子だけ先に食べさせ寝かせてから、両親と姉弟四人という完全な家族水入らずの食卓が実現した。

「旦那帰しとして良かった。絶対このノリついていけないよ」

 姉がそう呟くくらい、めちゃくちゃにぎやかな晩ご飯だった。誰がうるさいって子供四人、全員うるさい。
 ウチの両親は子供たちを伸び伸び育てることに関しては間違いなく成功しているので、みんな似てないし我が強い。些細なことでケンカして、揚げ足を取り合う。いや、一番うるさくて細かくて面倒くさいのが僕なのも分かっているけれど。

 誰かが誰に食って掛かる度、母が「愉快だね」と笑っていた。じいちゃんも我が家をのぞいて、笑ってくれたんじゃないだろうか。

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