『ちいさな世界』
登場人物
広田 裕翔 102号室に住む高校生
広田 晶子 裕翔の母親
三谷 聡介 202号室に逃げ込んだコソ泥
草野 彰二 同じく202号室に逃げ込んだコソ泥
中井 怜 201号室に住むOL
平 圭太 怜の恋人で警察官
入江 智 203号室に住む大学生
高山 巧 智と同じ大学に通う友人
シーン1「広田家の日常」
102号室。ダイニングテーブルに向かって食事をしている広田裕翔とその母、晶子。
晶子 裕翔、話があるんだけど。
裕翔 ん?
晶子には目もくれず食べ続ける裕翔。
晶子 私、結婚します。
裕翔 ……。
晶子 今度こそ素敵な人を見つけたのよ。
裕翔 今度はいくら貢いだんだ?
晶子 え?
裕翔は箸を置き、派手に溜め息を吐く。
裕翔 どうせまた借金がどうとか独立資金がどうとか、それで上手くいったら一緒になろうとか言われたんだろ?
晶子 ……あのね、そういうのは先行投資っていうのよ。
裕翔 貢いだんだ……。
晶子 ただ、一つ問題があってね。
裕翔 なんだもう逃げられたのか?
晶子 その人、秋田さんっていうの。
裕翔 は?
晶子 アキタアキコって響きはどうかと思うのよねえ。
裕翔 ……ならヒロタヒロトに関してはどう思ったのかな?
晶子 だってその頃はほら、離婚して広田に戻るなんて思ってもないじゃない?
裕翔 ほらって……知らねえし。
晶子 夫婦同姓って別に妻の姓を選んでもいいわけよね。ねえ、どう思う?
裕翔 激しくどうでもいいわ。親の再婚を名字で判断する息子がどこにいるんだよ。
晶子 (パッと表情を輝かせて)そうよね、名字なんて些細な問題よね!
裕翔 そうだけど、どうした急に?
晶子 裕翔がいいなら、早速お金渡してくるわ。
と、本当に席を立つ晶子。
裕翔 え?
晶子 秋田さんも早い方がありがたいって。
裕翔 待て、まだ貢いでないんだな。
晶子 だから投資だって言ってるじゃない。
裕翔 リスクしかないから!
晶子は鞄に分厚い封筒が入っていることを確認し、出ていこうとする。
裕翔 分かった、ちょっと落ち着こうか。ちゃんと話聞いてやるからさ。な、なあ?
慌てて晶子を追う裕翔。
シーン2「泥棒たちの末路」
空き部屋の202号室。三谷と草野が荷物を抱えてこそこそと部屋に入ってくる。
三谷 ホントに空いてたよ。
草野 だろ。俺の情報に間違いはない!
三谷 間違いなかったらこんなことにもなってない。
草野 それはだって、人間は気まぐれな生き物だからさ。
三谷 何のための下調べだ?
草野 こういう時のためじゃない?
三谷 全く。
二人して座り込む。
草野 ……何で帰ってきちゃったんだろうね?
三谷 人間が気まぐれな生き物だから、じゃなかったのか。
草野 そうなんだけどさ、帰ってこなけりゃ怖い思いをせずに済んだのに。
三谷 怖い思いをしたのは俺たちだ。
草野 それは自業自得っていうか、
三谷 お前の情報が間違ってたからだよ。
草野 えー、そこに戻ってきます?
間。三谷は諦めた様子で仰向けになる。
三谷 疲れた。
草野 同感。
草野も脱力した格好に、
三谷 あの男も早いとこ逃げるつもりだったのかもな。
草野 え?
三谷 思った以上に部屋が片付いてたろ?
草野 確かに、収穫はこれだけ――
草野が鞄の封筒に手を伸ばしたその途端、隣の201号室から大きな物音がする。
草野 ごめんなさい!
三谷 ……誰に謝ってるの?
草野 だって……。
草野が隣の部屋へ視線を向ける。二人は頷き合ったかと思うと壁に耳を当てる。
特に三谷の方はそれっぽい筒状の何かを取り出して壁に押し当てる。
草野 聞こえる?
三谷 シッ!
シーン3「本当のサプライズ」
201号室。中井怜が壁際で紙テープ(お祝い用の装飾)にまみれている。
怜 え、もうそんな時間?
慌てて紙テープを片付けていると、もう一度インターホンが鳴る。
怜 大丈夫。大丈夫だから、ちょっと待って!
怜は部屋をうろうろして「散らかってはいない」ことを確認して迎えに出る。平圭太が怜に目隠しをさせられて入ってくる。
(後々こいつ刑事っぽいな、と思えるベタなコートを羽織っていたい)
ひとまず座らせて、怜はキッチンからケーキの箱を取ってくる。
圭太 まだ?
怜 もうちょっと、ホントにちょっとだから。
圭太の前に箱を置き、開けると、ケーキは斜めに潰れていた。
怜 ……。
圭太 ねえ。
間。異変を感じて圭太が目を開く。
怜 ごめんなさい。
圭太 ……大丈夫だよ。味に変わりはないんだし。
怜 でも、
圭太 (力強く説得するように)大丈夫!
怜 (無理に明るく振舞って)そうね、お誕生日おめでとう。
圭太 ありがとう。
怜 待っててね。お料理ももうすぐ出来上がるから。
圭太 うん、楽しみ。
しかし、そこでまた異変に気付く。
圭太 ねえ、焦げ臭くない?
怜 え?
怜が再びキッチンへ。しばらくしてとぼとぼと戻ってくる。
怜 ごめんなさい。
圭太 ……いや、僕が来るタイミングも悪かったよ。焦らせちゃって、ごめんね。
怜 違うの。私が――
圭太 (更に力強く)大丈夫だから!
怜 (頷いて)あ、そうだ。プレゼントがあるの!
怜は用意していた封筒を差し出す。圭太が開けるとチケットが二枚、出てくる。
怜 圭太くん、観に行きたいって言っていたでしょう? 頑張ってチケット取ったのよ。時間丁度にぴあに電話して一番いい席を――
圭太 ごめん。この日は仕事が……。
怜 え?
怜は泣きそうである。
圭太 いや、仕事なんか休むよ。折角のプレゼントなんだから。
怜 大丈夫?
圭太 もちろん。
怜 ありがとう。さ、食べましょう。ここのケーキおいしいのよ。
圭太 待って。
怜 え?
圭太 僕からも、あるんだ。
怜 だって今日は圭太くんの誕生日じゃない。
圭太 そうだけど。目、瞑って。
怜は不思議そうに目を閉じる。圭太はその左手を取って指輪をはめる。
圭太 いいよ。
怜 (指輪を見て)これ……
圭太 結婚しよう。
怜 ……。
圭太 ダメかな?
怜 ……印鑑取ってくる。
圭太 へ? 何て?
怜が立ち上がり部屋を出ていく。圭太は不安げに見送る。なかなか戻ってこない。
圭太がチケットを封筒にしまおうとしたその時、もう一枚の紙きれに気付く。取り出してみると、そこには婚姻届けが入っていた。
シーン4「泥棒たちの末路」
壁に耳を当て続けている草野と、盗んできた金を数えている三谷。
草野 ねえ、インカンって何だと思う?
三谷 ……判子だろ?
草野 何でプロポーズで印鑑なのさ?
三谷 プロポーズ?
草野 結婚……あ、婚姻届け?
草野がまだ聞き耳立てていることに気付いて、
三谷 いつまでやってるんだよ。他人様のプライベートに。
草野 三谷の口から「他人様のプライベート」ですか。……あ、ちょっと待って。
三谷 どうした?
草野 男の方が職場から緊急呼び出し食らったみたい。
三谷 はあ?
草野 あーあーかわいそうに。「この埋め合わせは必ず。そのチケットは絶対に無駄にしない」って、無理だろうなこの調子じゃ。ねえ、何のチケットだと思う? 映画、コンサート? 男の方が観たいって言ったならスポーツ観戦とかかも。
三谷 どうでもいい。
草野 えー気になるじゃん。
三谷 お前、今の俺たちの状況分かってるのか?
草野 ……分かってるから気を紛らわせたいんじゃん。三谷がそれ数えてるのもそういうことでしょう? ここで山分けしたってしょうがないのに。
三谷 それは……。
草野 ご自慢の七つ道具に役立ちそうなものとかないの?
草野が鞄を探る。先程の盗み聞き用の筒の他、双眼鏡、ピッキング用の針金、ガラスカッター、ロープなどの泥棒グッズが続々と出てくる。
草野 これで何か出てきたら面白いのに。
三谷 何かって?
草野 (しばし考えて)別人になりきれるスーパー変装グッズとか?
三谷 何だよそれ?
草野 (あっさりと)そうだね、状況はあんまり変わりないか。
今度は203号室から高山巧の悲鳴(うめき声?)が聞こえる。びくつく二人。
三谷 今の何だ?
草野は先程と反対側の壁に耳を当てる。
三谷 またやるのか?
草野はじっと聞き入っている。
三谷 おい、草野。
草野 だって、この世の終わりみたいな声が聞こえるよ。
シーン5「脱出」
203号室。高山巧がプリントや書籍に埋もれるように倒れている。精神の限界な感じで喚いたり呻いたり転がったり。
(というのを、できれば長尺でシュールにやりたい)
しばらくして玄関扉の音。と同時に巧は一時停止し、何故か死んだふり。入江智がコンビニの袋を提げて現れる。巧を凝視。
智 生きてる?
巧 ……。
智 死んだの?
巧 ……。
智 じゃあ晩飯は俺が頂く。
巧 (飛び起きる)させるか!
巧が袋を奪取する。が、中身は「十秒チャージ」一本。
巧 もっとまともなものはなかったのか?
智 お前にやる分はね。
巧 ……。
智 どうした?
巧 限界だ! もう三日もこんな調子だぞ。
智 俺のせいじゃない。
巧 じゃあ誰のせいだ?
智 お前だよ。
沈黙。巧は身体を震わせている。
巧 限界だ!
智 それはもう聞いたよ。
巧 なんなんだこの部屋は? テレビもないゲームもない、マンガどころか一冊の雑誌すらない。
智 お金なくてさ。
巧 その上ケータイもパソコンも、通信機器が全く使えない状態なんだぞ。
智 大丈夫だよ。
智はポケットから巧のスマートフォンを取り出す。
智 急用は一切届いてないから。
巧 お前が持ってたのか!
智 他に誰が持ってるのさ? この部屋に置いていくとでも――
智は周囲を見回す。荒らされた自室。
智 思ったんだな。
巧 頼むからケータイを返してくれ。
智 ダメ、何のためにここにいるのさ。これでも小まめにチェックしてやってるんだ。
巧 じゃあ、パソコン貸してくれ。あれが必要なのは智も分かるだろ?
智 どこまで進んだ?
巧 ……。
智 じゃあ貸せない。
巧 (ふらふらと立ち上がって)もういい。俺は出ていく。
智 お達者で。
巧 それだけか!
智 出てったところで財布もケータイも家のカギも俺が預かってるからさ、帰ってくるしかないんだよ。
巧 ……。
智 観念してやることやったら? そのためにここ泊まり込んでるんだから。
巧 お前はそんなに非情な奴だったのか。
智 そもそもお前から頼み込んできたんだろ? 自分を見張っておいてくれって。
巧 そりゃ言ったけど。ここまでやらなくてもいいじゃないか。
智 うんにゃ、ここまでやってもお前は変わらないじゃないか。
巧 じゃあせめて、もうちょっとうまいもん食わせてくれ。
智 うーん……何かあったかな?
智は部屋を物色し始める。その隙をついて巧は智のポケットから財布をひったくる。
智 あ、俺の財布。
猛スピードで逃走する巧、追う智。玄関扉の音。
智(声) おーい、その財布いま200円くらいしか入ってないからな。
部屋に戻ってきた智は溜め息を吐き、部屋の惨状を改めて目の当たりにする。
智 あいつ……今年も単位落とすな。
シーン6「泥棒たちの末路」
三谷 これ以上ないほど平和だったな。
草野 200円か。
三谷 こっちはキッカリ200万。
草野 わ、さすがですね。
三谷 ……草野さ、どうやって情報仕入れてるの?
草野 ん?
三谷 お前アホなくせに何でも知ってるじゃん。
草野 アホって……うーん、基本的に人間はおしゃべりが好きな生き物だからさ、俺はその場に居合わせただけって言うか。
三谷 たまたまなのか。
草野 この部屋もさ、空き部屋の管理が甘いから簡単に潜り込めるって得意げに話してる男の子がいてね。
三谷 男の子?
草野 うん、高校生くらいかな。友達同士でそういう話をしてるのが聞こえて。
三谷 ちょっと待て。それってつまり、ここは悪ガキたちの溜まり場ってことか?
草野 ……そうかも。
三谷 そんなところ潜り込んで大丈夫なのか?
草野 しょうがないじゃん。アシがなくなっちゃったんだし。それと、俺たちも十分悪ガキだよ。
三谷 そんなことはどうだっていい。
ガチャガチャとドアノブをいじる音。ドン、と裕翔が転がり込んでくる。驚いて、固まる二人。
草野 ……あ、ああ!
草野、裕翔を指差して、
草野 くだんの悪ガキ。
裕翔 あんたら、秋田って男から金盗ったろ。200万!
三谷 ……あの男そんな名前だったか?
草野 違うけど。
裕翔 じゃあ偽名だったんだ。名前なんて何だっていい。
草野 名前は大事だよ。
裕翔 何だっていいって言ってんだよ! それより200万、盗ったんだろ?
裕翔は鞄からはみ出ている封筒を見つけて、
裕翔 それだよ! 母さんの金だ。返せ。
草野 ……つまり、あの結婚詐欺師の被害者の一人が君のお母さんというわけだ。
裕翔 やっぱり詐欺師だったか。
草野 でも、どうしてここが分かったんだい?
裕翔 むしろ俺が聞きたい。何でこの部屋に?
草野 いつかどこかで君がしゃべっていたことを覚えていただけだよ。いやあ、世界って狭いね。
三谷 そういう問題か?
草野 あ、そうか。君はここの住民なんだ。
裕翔 (やや呆気に取られて)ああ。隣の兄ちゃんが、あんたらがこの部屋に入ったところを見てたんだ。
三谷 マジか。
草野 凡ミス。
裕翔 詐欺師を追ってたはずなのに、いつの間にか泥棒追っかけることになって、しかも逃げ込んだのがウチのマンションって……。
草野 それは大変だったね。
三谷 むしろこいつにとってはお前がポンコツで助かったんじゃないか。
草野 うーん、この感じだとむしろ彼が俺たちの計画を狂わせたような……。
草野がお金の入った封筒を手に取って、じっとそれを見つめる。
草野 返すよ。
三谷 おい。
草野 だって俺たちは警察に通報されないだろうって前提であくどいお金を狙ってたからさ、被害者が名乗りを上げたんなら返さなくちゃ。
裕翔 (拍子抜けして)いいんですか?
裕翔に封筒を渡す前に何枚かお札を抜き取って、
草野 これだけもらえないかな。俺たち今、アシがなくて帰るに帰れない状況なんだ。
裕翔 アシ?
草野 車だよ。気付いたら壊れてたんだよね。三谷のポンコツの……あれ何てやつだっけ?
裕翔 あ!
草野 え?
裕翔 それって、裏の一通に停まってた――
三谷 お前が壊したのか!
裕翔 すみません! ……いや、すみませんで合ってるのか?
三谷 合ってるだろ、器物損壊だぞ。
裕翔 窃盗犯の逃走車でも?
三谷 当たり前だ!
裕翔 そうなのか……?
草野 うん、やっぱりこれで丸く収めよう。お金は返す。事件にはしない。これだけ大目に見てよ。ね?
裕翔 はあ。
草野 (三谷に)いいでしょ?
三谷 ……。
遠くからパトカーのサイレン。
裕翔 あ、もう通報してたんだった。
三谷 はあ?
段々近づいてくるサイレン。裕翔は受け取った封筒の中身を確認し、意を決する。
裕翔 窓から降りられますか?
草野 へ?
裕翔 俺んち、真下なんです。
草野 (にっこり頷いて)任せなさい。俺たちゃプロのコソ泥です。
三谷 それは大物なのか? 小物なのか?
草野 言い得てるでしょ?
三谷 まあ……。
裕翔 あ、絶対に母親には見つからないでくださいね。あの人怪しい男にばっかり惚れるんで。
草野 (噴き出して)そっち? なんか楽しくなってきたぞ。
三谷 俺は嫌な予感しかしない。
表がざわざわしてきて、
草野 行きますか。
順に窓枠を飛び越えようとする草野と三谷。暗転。
シーン7「エンディング」
上司に呼び出された圭太、何故か辿り着いたのは元居た恋人の住むマンションだった。彼がケータイ電話に向かって、
圭太 もしもし? 先輩、勘弁してくださいよ。現場に着いたら高校生がなんか、勘違いだったとか言うんですよ。絶対いたずらですって。そんな通報で部下を振り回さないでください! ……え? それは……もういいですよ。(電話を少し遠ざけて)プロポーズやり直すわけにもいかないし。(もう一度通話口に向かい)それより先輩、来週有給取りたいですけど。……あのね、警察官と言えども公務員なんです。有給ぐらい取らせてください。僕の将来がかかってるんですから!
通話を切って、201号室のインターホンを押す。
(ドアを開ける音を入れてもいいけど、そのまま「謝る練習」っぽくてもいいかも)
圭太 さっきはごめん。もう大丈夫だから。いや、呼ばれてみれば現場がすぐ隣でさ……ホント、世界って狭いね。
圭太の愛想笑い。暗転。
〈了〉
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