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『僕はどこから』から考えた「僕は物書きになりたい」の意味

 俳優の間宮祥太朗さんが好きで『僕はどこから』というドラマを見ています。
 こちらでヤクザを演じているかと思えば『ハムラアキラ』では警察官でその振れ幅が半端ない……と、それはさておき。

 『僕はどこから』で中島裕翔さんが演じている主人公は作家志望の青年です。
 「売れない作家」ではなく「作家志望」なのに既に出版社の担当が付いている辺り、彼の文章力と行動力は相当のものと思われます。見習わねば。

 そんな彼がヤクザな旧友と再会して危ない仕事を頼まれるのとほぼ同時、ゴーストライターの仕事が舞い込みます。
 一度は悩んだものの、きっぱり断って彼は言うのです。

「僕は作家になりたいんです。ゴーストライターじゃない。作家になりたいんです」

「えー、もったいない!」
 テレビを見ていた僕の口からそんな言葉が飛び出しました。更にそれを見た父が一言。
「真は作家になりたいんじゃないの?」
「僕は物書きになりたいんだよ。文章で稼ぐことが目標だからゴーストライターでも別にいい」
 そもそも文章だけを求められるゴーストライターって逆に実力が認められた気がしませんか? そう思うのって、僕だけ?


 さて、主人公の彼はどうして作家になりたいのか聞かれてこう答えていました。
「僕にはこれしかないんです」

 ……嘘だろ? 君には本当に作家以外の選択肢がないのかい? 少なくともコンビニの店員にはなれたじゃないか。

 例えば僕が「自分は物書きになるしかない」と思っていた頃、
 ベッドから起き上がるのに痛み止めを服用していました。副作用の眠気と戦いながらパソコンに向かっていました。病院以外の場所へはほとんど出掛けられませんでした。痛み止めを飲んでも一晩中眠れず脚をさすり続けていました。
 五体満足な人間が物書きになるのはずるいと思っていました。物書き志望の身障者にその席を譲ってくれ……。

 はい、病んでましたね。

 でも実際「しかない」と言う時の思考は健全ではないと思います。
 彼も「小説しかない」わけがないのです。だって彼は恐ろしく行動力があって肝が据わっていて、他人の頭で(つまりは他人の立場にたって)ものを考えられるのだから。
 むしろ他人の頭で考えられる人間はいろんな仕事で成功できる気がします。


 では、契約社員になれるまで回復した僕がどうして物書きになりたいのか聞かれた場合なんと答えるのでしょう。答えは――

「だって、気付いたらもう書いてるんだもん。そりゃ天職だと思うでしょ」

 プロの物書きになれるか否かは置いといて、結局僕は書かなきゃ生きていけないようです。

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