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【Dオタ所感】大好きなアトラクションがクローズする哀しみ

今はなきアトラクションを想う

アトラクションがテーマに沿ってるかどうか問題

海外のディズニーオタクが、Xでディズニー・ハリウッドスタジオ(以下DHS)の話をしていた。

「『ミッキー&ミニーのランナウェイレールウェイ』(以下MMRR)が『ザ・グレート・ムービー・ライド』(以下GMR)と共存できなかったのは残念である」

私はGMRだけ1回体験したことがあって、MMRRは乗ったことがない。(ネットで見る限り最高だとは思うが)

このポストを見る数日前に、WDW News TodayのYoutubeのコミュニティで
「DHSで好きなアトラクションは?」
という投票を行っていて、投票した時はGMRがトップだった。
その時「GMRって愛されてるな〜」と思って、それもあってこのポストが印象に残ったのである。
(私は無難にタワテラに入れたし、結局タワテラがトップで落ち着いたようだ)

「今はなきアトラクション」への愛着を表明するのはディズニーオタクあるあるであるが、上記Xのポスト主はWonders of Live ArchiveというYoutubeチャンネルをやっている人で、今はなきエプコットを再体験する動画を投稿している。
ただ、プロフを見ると、この人がWonders of Liveに行ってたとしても幼児の時だと思う。
行ったことのない時代のエプコットに惹かれている自分としては共感を持って見ていた。

だが、ポスト主は懐古主義というより「MMRRがDHSの中心にあるのは趣旨ズレ」ってとこを指摘してて、なるほどと思った。もちろんどっちのアトラクにも乗った上での感想であったし。

MMRRはアナハイムのディズニーランド(以下DLR)にもあるが、ロケーションはトゥーンタウンなのだ。確かに、そっちの方が趣旨に合っている。
カートゥーンという無法地帯をリアルにくぐり抜けるスリルと非日常を体験できるというのが、MMRRというライドの醍醐味なのだから。

ずっとオーランドに行ってなくて立地の体感を忘れてたけど、趣旨ズレと感じてるファンは「DHSの中心・チャイニーズシアターという栄誉あるロケーションに相応しいアトラクかどうか」を見ていて、その視点においてはMMRRはGMR以上ではない、というのは納得である。

パークのアトラクにとって、キャラよりテーマ優先の主張は、まさしくポートディスカバリーとかTDSでもあった議論を思い起こさせる。
古き良きTDSの漁村ケープコッドは、ダッフィーというキャラを契機に集客が加速したし、「ストームライダー」は「ニモ&フレンズ・シーライダー」に取って代わった……

「ストームライダー」がなくなること=ポートディズカバリーのテーマが損なわれるという考えは、もしかしたら、幼少期にDHSを経験したファンにとって、GMRがなくなった時と同じ気持ちで、「パークらしさ」が失われていく感覚かもしれない。

Attractions must be updeted.

一晩明けたら、ポストにたくさんのリプがついていて、喧々諤々だった。
ポスト主が主張しているのは「当該アトラクがこの場所に相応しいかどうか問題」だが、もちろん、
GMRは古い
という指摘もあった。

昨今の改修は、悪く言えば、若いゲストには元ネタ分からん古くせ〜アトラクを、「ディズニープラスでやってるよ!」モードに変えてる感はすげーある。

全てに元ネタ(嫌な言葉)がある状態で、「カリブの海賊」にもジャック・スパロウがいるし、「魅惑のチキルーム」にもスティッチがいる。
「ストームライダー」のような、元ネタ映画がない生粋のアトラクションストーリーが排斥されているように見えるのも確かだ。

しかし、話をGMRに戻すと、DHSを有するウォルト・ディズニー・ワールドの周辺には競合がたくさんあって、その中には映画をテーマにしたユニバーサル・スタジオ・フロリダもある。

また、例えば、デジタルネイティブ世代にUSJのマリオカートとGMRどっち乗るかって聞いたら99%マリオカートだとは思う。(マリオカートはそれくらいすごかった)

映画マニアでなければ名画の世界に入れるワクワク感、『カサブランカ』や『オズの魔法使い』がアメリカ映画史にどれだけ重要かということなど、知る由もないし、それは「現代のアトラクション」で体験することではないのかもしれない。

そして同業他社だけではなく、イマジニアはたくさんの要素を競合として考えないといけない。

ドキュメンタリー『イマジニアリング〜夢を形にする人々』で「まずゲストの目をスマホから離させなきゃいけない」と言っていたのが印象的で、パークにいる間も、パークそのものに目を向けてもらうためは、全てを「WDW固有の全く新しい体験」にリノベしなければならないのだ。

「ディズニーランドは永遠に完成しない」は、ここにある。
その固有体験を作るために、自社IPを使うのは当然でもある。

アトラクションへの愛着は「ずっと」残る

だが。
GMRは残しといてくれ……の気持ちも、十分に分かる。
だって、DHSのテーマは「ハリウッド映画」だし、チャイニーズシアターはまさにその聖地だ。
そしてハリウッドなくしてディズニー作品を語ることはできない。
そこはディズニー社が生まれ育った故郷でもあり、ハリウッド映画はアメリカの”神話”なのだ。
(私はディズニー概念オタクなので、ディズニーは『白雪姫』からアメリカの神話になり続けようとしていると思っている)
だからこそDHSってコンセプトのパークが、WDWの中にあるわけだし。

確かに喜劇王チャップリンですらミッキー出演作品と併せた上映を望んだという逸話がある。
ハリウッドの中心にミッキーがいてもおかしくはない、という主張も成り立たなくはない。(歴史修正感があるが)

しかしその主張こそ「知らんがな」であろう。
MMRRをカートゥーン時代への礼讃、ミッキーマウスの歴史のオマージュと見ることはできるが、ハリウッドの花道という文脈となると、ちょっとズレる。

GMRは私も大好きなアトラクションだ。
乗ったのはもう15年近く前になるが、ヘッダー写真は自分で撮ったものだ。カメラが古いから画像もガビガビである。
ディズニーのおかげで映画を好きなったのもあるから、行く前からDHSのお目当てアトラクだった。
でっかいオープンカーのアメ車に乗って、映画の名場面に立ち会えるなんて贅沢すぎる。
たくさんの映画が出てくるけど混乱せず、でも緩急があって、ライドの構成が素晴らしかったし、エイリアンのとことか普通に怖かった。
エンディングの『オズの魔法使い』は「イッツ・ア・スモールワールド」の白亜の世界を極彩色にしたようなカタルシスがあり、感極まって泣いた。There's no place like home. これぞアメリカ!

1回乗っただけでこれだから、GMRに強い愛着を持ってる人はたくさんいるだろう。

でもあれは実在の人間のアニマトロニクスが多くて、バージョンアップしようとしても維持費と権利費がとてつもなくなるのは想像に難くないし……

こういうジレンマに陥るからこそポスト主の「共存できなかったのか?」は、至極真っ当な感想だと思った。

だったら新しいアトラクにしよう、は、経営判断の範疇である。

生身のままストーリーを体験する場所

古いアトラクが新しいアトラクになる時のモヤモヤが名状できなかったのだが、

アトラクションという「その時その場限りの固有体験」が、明らかにIPビジネス上の商品だと思わされることへの抵抗感かもしれない。

私はむしろプロジェクションマッピングのキャッスルショーなどにそれを感じてるが(「この映像、家でも観れるが?」と思ってしまう)パリのドローン使ったキャッスルショーの様子を動画で見ると、ぐうの音も出なかった。プロジェクションマッピングショーも、すごいスピードで進化している。

アトラクは箱ものだからそこまでのスピード感が出せない。
ハードとソフトの面があって、イマジニアが予算と納期迫る中アイディアで乗り越えて、ソフト変えただけで人気出たりする。
「スターツアーズ」なんかはキャッチアップが早いし、バリエーションを持たせられる。

でもファンは愛着があるから、アトラクが入れ替え可能なソフトとして扱われることに抵抗がある。思い出の中のアトラクは、もはや不動の世界だ。

それは元ネタの映画を見ることも代替不可の物語体験である。でなくてはアトラクションを作る意味がない。
そしてディズニーオタクの欲を言えば、「パーク「そのもの」が物語を語ってほしい」という気持ちが強くある。
だからオタクはパークオリジナルのアトラクションを愛するのかもしれない。(私のお気に入りは、ビジョナリアム!)

アトラクションは、ストーリーの中に心身ともに入り込むという、各人固有の体験ができる

それこそディズニーテーマパークの真髄だ。
テーマパークは見世物ではない、ゲストにストーリーを体験させるのだ。
そしてゲストはアトラクというストーリーの中に入り込んで、反応をせずにはいられない。
アトラクションというのは、元からインタラクティブな体験なのだ。

アトラクションの系譜 「スターケード」から「シュガー・ラッシュ」へ

先日、東京ディズニーランドでも「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」が2024年10月で終了し、『シュガー・ラッシュ』のアトラクションに変更するとアナウンスがあった。

これも、「なぜ『シュガー・ラッシュ』がトゥモローランドに?」というか、『バズ・ライトイヤーのアストロブラスター』のクローズへの抵抗感を隠せない意見もありつつ、風間俊介さんのポストもあって得心を得た人も多いのではないだろうか。

素晴らしい見解である。

個人的には、シュガーラッシュは仮想世界の話なので、『トロン』と同じ感じで捉えていた。そして特に原宿にいる女の子をキャラのモチーフにした作品ならなおさら日本に「あってほしい」アトラクかなと思った。でもこれはIPビジネス的視点である。

スターケードの系譜として見做すのは、やはり「東京ディズニーランドのトゥモローランドという場所に相応しいかどうか」という視点だろう。

風間氏の言葉が見事なのは「思い出の中の『スターケード』」という表現だ。
これこそが愛着そのものであり、「ずっと」残る愛着が「この先も」生き続けるのだ、というファンの前向きな視点である。

ただ、風間俊介氏の表現は見事だが、みんなが飲み込む必要はない。
納得できないことだって全然ある。
自分の心の中の思い出と愛着がTrueなのだから。
懐古主義者は、何かのクローズ/フィナーレの悲しみが胸に深く刻まれているに違いないのだ。

私が大好きなアトラクやショーに求めているものは「ファンタズミック!」級の決定打、クリティカルにディズニーであること、でもそれを全てに求めるのは不可能だから、それらがなくなる時は、その理由への「納得」だ。(アトラク/ショーのクローズ/フィナーレの決定を知った時に、それらに求めていたものを一番痛感するのは、滑稽だが哀しいことである)

「ブラヴィッシーモ!」がなくなるのが仕方ないと思えたのも「ファンタズミック!」という生きる伝説が東京に来てくれるんだと思ったから納得できたし、『Imagination Song』に『Swept Away』の面影を見ることもできる。愛着である。

「私の大好きなアトラク/ショーを、サブスクの広告枠のように手軽に扱わないでくれ!」

最近のアップデートはどこかでそんな気持ちになるけど、これも、あくまで過渡期でしかないことを何となく感じている。
そう、もし現状「ちょっと違うな」と思っていても、それがアップデートされる時が、また来るのだ。


"As long as there's imagination, we're not done."

ちょうど4月29日にエプコットのドキュメンタリー『EPCOT Becoming: Inside the Transformation』が米ナショジオで放送されたところで、イマジニアの公式Instragramでちらっと予告を見ることができるが、そこでも「変容」への意識を感じさせる。
イマジニアは常に次の進化を発信してくれているし、より良い未来を提示してくれている。There's a great big beautiful tomorrow just a dream away.

イマジニアリングは、そしてディズニー社は、ゲストの愛着という過去のパークへの素敵な思い出を上回る体験をさせるという使命のもと、今この瞬間も仕事をしているのだと思いたい。
だって、私たちが好きだったアトラクションを作ったのも、同じイマジニアの人びとなのだから、次の段階に夢を見てもいいのではないだろうか。

次の進化に、過去の痕跡を見つけて感慨に耽るのも、またマニアの楽しみだろう。

そして再度記載するが、MMRRとGMRのポスト主は、今はなき
「Wonders of Life」の3D Modelを作るチームを作っていた。

この人たち以外にも、過去のホームビデオや写真などの資料を元にBlenderやマイクラで消えてしまったアトラクションを復活させた人々は結構いて、Youtubeで見ることができる。
マニアの愛着は、消えることがない。

おわり


ディズニーに想いを馳せるブログはこちら

海外パークとか映画とかごちゃまぜ。
この記事の本文も、後でこのサイトに載せます。
https://myfortuosity.jimdofree.com/




あなたの感じたことって何物にも代えがたいよね、ってことを一人ひとりに伝えたい。感情をおろそかにしたくない。って気持ちでnote書いてます。感性ひろげよう。