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「わたしも昔、同じ経験をしました」の弱点。

先日の話、ある作品のシナリオに関する話をしていたときのこと。
比較的若い方がこのシナリオめっちゃ面白いと一方的にならない範囲で熱弁してたところ、ある年長者の方(若い方+20歳程度)がひとこと。
「それ、XX年に出たYYって作品と構造似てるよね。だとしたらYYを見てみた方がいいんじゃ」
と。
確かにシナリオを俯瞰すると一部そうなんですが(基本構造が近いだけで中身はかなり違ってる)、それをこれめっちゃ面白いと熱弁している前の人で言う話かな…と。
そもそもXX年時点では若い方が年代的にリアルタイムで見たことあるものではないので、という話で一旦落ち着きました。

基本、芸術、文学、アニメ、ゲーム、マンガなどカルチャー系だとなんでもいいんですが発表された当時にリアルタイムで見ている層とそうでない層というのは必然的に出てくる話。
先行作品を見てると、後発作品をあーこれはこういうところがこうでと語りたくなる層は一定数いるわけですが、それって年代が若い、当時見ていない人には後発作品を新しい衝撃として受け取られる、という事態は多々あるわけで、その気持ちは大事にしてあげた方がよいのでは…と思ったりはします。

話変わって、震災などで被害を受け大変な思いをされた方に対しボランティアに向かう方に対し、こういう話がされた、というのを小耳にはさみました。

相手がつらい経験を話された時の応対として、「わかります」の後に自分の経験を話さないようにしてください。
被災された方はあなたの話が聞きたいのではなく、被災された方の目線の高さで話を聞いてほしいのです。

そもそも、どんな苦労話でもは一般化すると同じような経験であるというのは結構頻出する話です。
しかし、以下の点は言えると思います。

 ・リアルタイムで受け止めた話かそうでないかでも話は違う
 ・それを受け止めたときの時代背景や本人の経験も違う

それを十把ひとからげに「それ○○と同じだよ~」としてしまうのは話を聞いていないだけ…と思われても致し方ないようには思います。

もちろん、大多数にプレゼンをしたり分析したりする、というのであれば多少は話は変わってくるのですが、少なくとも相手の話に耳を傾ける意図がある際にはこの辺を意識しておくだけでも違ってくるようには思います。

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