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VRSNSと「何者かになる」ということと

このnoteではあまり表立って書いてはいませんでしたが、筆者はここ2年ほどVRSNSのひとつであるVRChatを遊んでおり、その関係でよく聞き、また引っかかる単語として
「何者かになる」
という言葉をよく見聞きしています。

VRSNSを遊んでいくとわかるのですが、最初はきれいなワールドで写真を撮りに行ったりイベントに行ったりなどしている人も多い中、プレイ時間が4桁時間に達するようなヘビーユーザーは
「知っている誰かに会いに行く」
ためにプレイするようになる、という話も小耳にはさみます。

さて、ここで考えてほしいのは、
会いに行く相手
というのはどんな人か、というところ。
人によっても違うでしょうが、一緒にいて楽しい人、博識で話を聞くだけでも楽しい人、または一芸を披露してくれるような人。

それを踏まえ、考えてみてください。
VRSNSに限らず、その会いに行く相手は「何者かになっている」ような人といえますか?
人によってまちまちかもしれませんが、そうでないような人もけっこういる気、しませんか?

そこで最初の命題に戻って、「なぜ、何者かに(なりたい/なる)のか?」
に立ち返ると、

何者かであれば、自分を認知してもらえるから
 →なぜなら、認知してもらえば、他人から会いに来てもらえるような人であると考えるから

は、これらのことを踏まえると「何者かである」は「認知してもらえる」に必須要件とはいえないわけで。

ただ、「認知してもらえる」のショートカットとして「何者かになろうとする、あろうとする」という考え自体は否定しません。
とはいえ「何者かではない」かつ「認知してもらえる」という状態を意識する、というのが比較的無難ではないかな、と筆者自身は思ったりもします。

余談ながら実はnoteを始めたきっかけはVRChat関係のことをこちらに書こうと思いつつ(鉄道会社の絡みを除くと)ほとんど書いてこなかったわけですが、来月以降、VRSNS(特にVRChat)に関する話題をちょっとずつ投げていこうかと思います。

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