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2022.2.22 Happy Cats Day

素晴らしい数字の並びの日ですね。
思わず記念投稿してしまいます。

ちょっと記念に乗っかるだけと思っていたのですが、投稿するということは猫について色々考えるということなのですね。

どんなことを書こうか朝から頭の隅で考え続けていたら、日ごろぼんやり思っていたことが具体的な形になってしまいました。

猫の日特集、BSプレミアムでやっていた劇場版「世界ネコ歩き」を見たらますます考えてしまいました。

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本日のネコ歩きを熱心に視聴する我が家の猫、さん
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喰いつく


数字の並び、200年後はもっとすごいですね。その日に投稿してみたかったw
2222・2・22
200年たっても、全ての猫に幸あれ。

今よりもっと猫が猫らしく幸せに暮らせる世の中になっていることを願います。

我が家の猫たちは、去勢・避妊をして室内飼いです。
これは飼いやすさや飼い主の安心のため、事故にあって自分たちが悲しまないため、ご近所とのトラブルを避けるため。
私たちにとっては最善の選択肢だとは思うのですが、本当は猫はどうしたいのでしょうか。

大人になってから保護したオスのさんは、外には行きたがらず家でぬくぬく、ゴハンをもらっていればそれで満足そうです。
去年の夏体質から結石ができました。治療して治りました。これは室内で人工的な暮らしになったためでしょうか、それとも体質だから?野良であればそのまま命を落としたのでしょうか。

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ハラ時計は正確、又は進みがち
かまってほしい


小さい頃保護したメスのまるは、外の厳しさを忘れたのか脱走チャンスを常にうかがっています。
脱走が成功した直後は楽しそうに外を駆け回り、存分に土を掘りトイレをしてみせますが、すぐに姿を消し、最近はご帰還も早くなりました。
帰ってきて家に入ってしばらくは非常に緊張し、警戒心もあらわに唸ったりしています。
外では安心して過ごせないようです。

厳しい顔つき
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からのへそ天

家の中で猫たちが安心して過ごせているのならそれは良いことです。
でもこれは、外の世界と分断されてしまった結果かもしれません。
家には庭と続きの広い畑があり、本当はそこでのびのび過ごさせてあげたいという気持ちはなくなりません。

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外、行きたくないけど見るのは好き
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家の前は狭いのに交通量が多く割とスピードを出した車が走る道路で、良き隣人であるご近所は、しかし庭をうろつく野良猫を嫌っています。
だから・・・・ね。

でも、猫は猫らしく、犬は犬らしく、子供は子供らしく、人はそれぞれ人らしく、社会の中で暮らせればいいのに。

そもそも猫(と子供)は、人間を困らせるナニゴトかをするものなのです。
だから、「コラーッ、またあの猫かよしょーがねーなー」と言いながら、「猫だからしょーがねーなー」で済ませられたらいいのに。
自分の所でおイタをしたら「コラーッ」でいい、でもそこに猫として在ることを認めてほしい。
子供たちが大騒ぎして遊ぶのは当然。「元気なガキどもだよしょーがねーなー、気をつけろよ」って。悪さをしたらコラーッ。
我ながら単純すぎますね。

でも「ネコ歩き」見ていると「猫らしさ」も色々ありますね。
ミャンマーの湖で水上生活する人々と暮らす猫は、自分で船に飛び乗って漁のお供をし、帰りは自分から湖に飛び込んで泳いで帰っていました。
北海道の牧場では、秋に生まれた子猫3兄弟は冬の猫風邪で、やんちゃな末っ子しか生き残れませんでした。

秋に3匹で遊んでいた杭の上で、冬、生き残った猫が一人で遊んでいました。
春、その猫をカメラに収めた岩合さんは、真ん丸な目でこちらを見つめるその若猫を撮りながら、「一人でも平気だよ、と言われた気がしました」と言います。

野生の生き物でありながら人間の社会の中でイエネコとして進化してきた猫たちの在り方は、考え始めると難しいものがあります。
動物愛護の観点、必要以上の擬人化、ヒューマニズムと動物(でっかく出たなおい)、バースコントロールの問題。
自然の中で、とは言いませんが自然のままに生まれ、淘汰される命を、どうとらえるか。
猫がみんな幸せであってほしいとは願うのだけれど、猫の幸せって何かよくわからないし、猫によって違うだろうし、猫に聞いても答えてくれないし、猫はそんなこと考えていないだろうな。

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何も考えていなさそうな猫の図
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寝返りを打つと落ちます。この子にとって最初の猫の日、つまり10年前の今日、まだ仔猫だったまる女王陛下は同じようにここから落ち、足を痛くされました。忘れられない猫の日の思い出。
よく考えましょう


でも人間は考える。結論は人それぞれでいい。結論は出ないこともある。

私は菜食主義やヴィーガンにはちょっと違和感があって、結局人間は(というか生き物は)動物であれ植物であれ他者の命をいただいているのだから、動物だけ分けない派。牛が生きているならレタスも生きてる。
「いただきます」と言って、ハラを括って開き直って何でもおいしくいただきます。(別にサンチュに巻いた焼き肉の話をしているわけではありません) 猫の幸せとはちょっと離れました。

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キャットフードの前にキャットグラスで必ずサラダから食事を始める意識高い系女王


「ネコ歩き」のラスト。春先、若いオス猫たちはメスと子供たちの群れから追い出され独り立ちしていきます。
でも一匹、それまでもず―――っとお母さんにべったりだった若いオスのカーショはやっぱりお母さんの元で甘えていました。
彼はずっとお母さんの側で暮らすことを選び、母猫もそれを許します。やれやれw 
岩合さんのナレーション。「そのままでいいよ、猫だって一人一人違うんだから、カーショらしくあるがままに」
カーショなのかそれを受け入れた母猫なのか、似ていてどちらかよくわからないのですが、2匹でくつろぐうちの1匹は、そのショットの間っず――っとベロをしまい忘れて、ピンクの舌がちょっと口からのぞいていました。


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てへぺろ



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