【ショートショート】「シャワールームの殺人」(2,036字)
「人が死んでるぞ!」
そこは密室だった。狭い空間には人がひしめき合っており、そのくせ静かな空間にその叫び声は場違いに響いた。
「誰がやったんだ!?」「お前か?」「いやお前の方じゃないのか!」
ヒステリックな声を遮るように俺は言った。
「こんなときくらい静かにしたらどうだ」
周囲にいた人たちが俺に注目した。俺は自分の名を告げた。
「私立探偵のサウルだ。専門は殺人事件」
人々はしばらく逡巡した素振りを見せたあと、誰からとなく事件が発覚したときの状況を教えてくれた。
被害者は四十代の男で、ベージュ色のスーツごと、腹部を切り裂かれて死んでいた。
周囲の人の目撃証言から、容疑者は被害者の近くにいた三人に絞られた。
一人目の容疑者。三十代の男で利き腕である右腕を骨折している。
二人目の容疑者。七十代の男性でかなり衰弱しており白濁した目は見えていないらしい。
三人目の容疑者。十二、三歳の痩せていてお腹の出た男の子。
凶器は割れた食器を鋭利に研いだものが近くに落ちていた。
目撃証言はほぼないが、被害者が刺殺される瞬間に犯人の腕だけを見たという男がおり、男が言うには「縞模様の服を着た男の右手が、被害者を刺し殺した」ということだった。
「俺は容疑者から外れた訳だ」
使える方の手をポケットに突っ込み男は言う。骨折しているという右腕は粗末な添え木で固定されていた。
「まだ分からない。骨折が演技かもしれない」
俺が右腕を掴むと、男は尋常ならざる悲鳴をあげた。どうやら演技ではないらしい。
「そっちの爺さんは、男が刺されたとき傍にいたはずだがなにか知らないか?」
二人目の容疑者は濁った目で俺を見ると言った。「このとおり、私は目が見えていない。誰かを殺そうにもすぐ逃げられるだろうし、悲鳴でようやく事件に気づいたくらいだ」
俺は爺さんに向かって拳を放ち目の前で寸止めするも、反応はなかった。見えていないふり、ではないだろう。
「さて最後は……」
俺は怯えた目をした子供を見下ろした。
「お前がやったのか?」
男の子はゆっくりと頷いた。
聞けば、男の子は被害者の男から酷い目にあわされていたそうだ。そのような日々の中、偶然、使っていた食器が割れて鋭利な刃物が手に入った。そして人混みのチャンスを待ち、ついに少年は決行した……。
「いや、それはあり得ない」俺は言った。「被害者の男はベージュの服を着ている。お前は誰かを庇っているな」
周りにいた人達は一様にハッとした顔をした。間違いなく少年は嘘をついていた。
もう時間があまりなさそうだ。
乱暴な手だが仕方がない、俺は落ちていた血の着いた刃物を拾い上げると、少年に向けて振り上げたーー。
「やめろ!!」
少年を庇うように現れたのは、右腕を骨折した男だった。
広げた左手は親指が下側を向き、右手の形をしていた。
生まれつき両手とも右手の犯人による殺人、それが今回の事件の真相だった。
男は少年の父だった。少年は"父の左手が右手"であることを知っており、目撃証言から父が犯人であると気が付いた。
そして父の名誉を守るため、自分が殺したと嘘をついたのだった。
「もう最後だ。どうしてこのタイミングで殺人事件なんか起こしたのか、話してくれるな」
俺と男のやり取りを、周囲の人間は固唾を飲んで見守っていた。
男は息子の頭を軽くなでると、真相を語り始めた。
「俺がその男と会ったのは今日が初めてだった。そいつの服装を見れば分かる通り、そいつは今日、ここにやってきたばかりだった。陽気な男だったよ。だから俺は聞いてやったんだ。『これからどこに行くのか分かってるのか?』って」
「まさか……!」俺は驚愕の事実に思い至ろうとしていた。
「そしたらそいつ、『これからシャワーを浴びに行くんだろ?』って言ったんだ」
「だから殺した?」
「そうさ、あいつも直に自分が置かれている状況に気づいただろう。そして絶望に打ちひしがれて死んでいくならいっそ、何も知らないうちに死んだ方が幸せだろうと、そう思ったんだ」
「だからって、そんな……」
「私は裁かれるべきか?」
俺は頭を抱えた。俺はただのしがない私立探偵で、そんなことが分かるはずがなかった。
次の瞬間、上空から激しい"シャワー"が降り注いだ。人々の命を奪う、死のシャワーだった。
俺がこの強制収容所に収容されてから約半年間。あの地獄をよくここまで生きてこれたと思う。
周囲を見渡すと、支給品の縞模様の服を着た男たちが次々と倒れていった。
不意にガスを吸い込み、俺は激しく咳き込んだ。
思えばこれまで悪意に塗れた事件ばかり担当してきた。
死人が出ている以上、不謹慎かとも思ったが、最後の最後に、善意ある殺人事件を解決することができて良かったと、俺は心からそう思った。
男と少年と、ついでに爺さんが抱き合うように倒れていたので、俺もその上に並んだ。
ガスの充満する部屋は久々に感じる温かさで満ちていて、俺は母の温もりを感じながら静かに目を閉じた。
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