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【ショートショート】「SSH(先輩のせいで破滅)な夜」(3,906字)

 精肉工場の業務用冷凍庫から必要な肉塊を出し終え、鍵を閉めてしばらくしてから先輩の姿が見えないことに気づいた。

 あーまずいなーと思いつつ、冷凍庫を開けてもし先輩がそこにいたら怒られるどころかクビになる可能性すらあったので、とりあえずほかの業務を先にこなしていたらいつの間にか終業の時間になってしまった。

「お疲れさま。あれ、田中くん、残業?」

 社長の山本に問われ、僕は少し迷ってから、「はい、ちょっとやり残したことがあって」と答えた。山本はどうやらこれから帰るところらしい。

「ふうん、じゃあ、僕は先に帰るけど、事務所の施錠をお願いできるかな? あ、あと冷凍庫の中も一応覗いて確認しといて」
「分かりました」

 僕は山本から事務所の鍵を受け取ると、山本の車が発進するのを見送ってから、しぶしぶ冷凍庫へ向かった。先輩がいないことについてはなにも聞かれなかった。先輩は素行があまりよくなく、勤務中に急に有休を取っていなくなることもあったから、あまり気にしていないのかもしれない。

 冷凍庫の中には予想通りというか、先輩が変わり果てた姿で立っていた。
 扉を叩いている途中で凍ってしまったのだろうか。膝を軽く曲げて右手をグーにして扉を叩こうとしている様は、まるでトイレが我慢できずに個室をノックしている姿のようで、僕はしばらくその場で笑い転げて危うく一緒に凍死してしまうところだった。

「さて……」

 このままだと先輩の不注意のせいで僕まで巻き添えになって捕まってしまうかもしれない。『業務上過失致死』とかいうやつになるのだろうか。業務上過失致死の罪がどのくらい重いのか分からなかったが、刑務所に入らなければいけないかもしれない。刑務所にはテレビゲームもないだろう。暴力的な人と同じ部屋にでもなったら大ごとだ。そういえば漫画で同じ部屋の人から性的嫌がらせを受ける場面を見たことがある。僕はとりあえず先輩の不幸な死を隠ぺいすることに決めた。

 幸い巨大な肉塊を運び出すための台車はたくさんあったので、そのうちの一つに冷たくなった先輩を乗せて冷凍庫を出て事務所に向かった。冷凍庫の左手側が精肉をする工場で、右側が事務所になっている。外に出るには事務所の中を通り抜けなければいけない。
 僕は重たい台車を押して事務所に入ると、その辺にあった椅子や机を押しのけながら出入り口の扉へと向かった。

 そこで、ふと、あることに思い至った。
 この事務所は昔、泥棒に入られたことがあって、それからは防犯のために事務所の入り口や窓があるところに監視カメラが付けられているのではなかったか。

 僕は台車に乗ったままの先輩を事務所に置いておくと、一度外にカメラの位置を確認しに行こうとして、すんでのところで思いとどまった。
 もし先輩が行方不明になったことで警察が来たら、監視カメラの映像はチェックされるだろう。そうなると、監視カメラの位置を確認している僕は明らかに怪しかった。そうなると先輩が悪いにも関わらず、僕は刑務所行きだろう。

 そこで僕は作戦を立てた。

 まず何食わぬ顔で事務所の電気を消し、外に出て、事務所を施錠した。これでもしカメラの映像が残っていたとしても、不審な点はないだろう。
 それから、少し離れた場所に立ち、入口の上部にやはり監視カメラがあることを確認した。

 さて、このまま事務所に戻ると僕は監視カメラに写ってしまい、やはり警察に捕まってしまうので、僕は近所のホームセンターで角材を買ってくると、再び事務所の前に戻った。
 この角材で監視カメラを死角から叩き壊してしまえば、僕がカメラに写って疑われることはあるまい。

「えい、やあっ、とおっ」

 監視カメラは意外と頑丈だった。しかも取り付け方が不安定なためか、叩くたびにカメラの角度が変わり、自分が写ってしまわないかと僕は神経をすり減らした。

「なんで先輩のせいでこんなことまで……」

 ようやく監視カメラが地面に落ちたところで、僕はそんなことをつぶやきながら事務所に入った。
 さあ、このまま台車で先輩を外まで運んで、あとは車でどこか森の中にでも……あ、それだと車が濡れちゃうな。それに運転中、凍った先輩のせいで寒くてハンドルがしっかり握れなくても大変だ。

 そこで、僕はまたあることに思い至った。
 先輩が行方不明になったことが露見したあとになにも盗まれることなく監視カメラだけが壊されていたら、一番疑われるのは誰か。それは鍵を持っている僕のような気がした。そうなるとまた僕はSSH(先輩のせいで破滅)だ。

 僕はまたホームセンターに走ると、手ごろな大きさのハンマーと作業用のヘルメットを購入した。
 ハンマーを引きずりながら急いで事務所に戻る。途中、数人の人がこちらをじろじろと見てきたが、ヘルメットを被っていたので道路工事かなにかをしているように映ったことだろう。

 事務所に到着すると、僕はハンマーで事務所の入り口を何度も叩きつけた。十回も叩いたころには金具が外れて、扉自体がそこから取り外れてしまった。
 風の通りが良くなった入口から事務所に入ると、事務所にあった現金をすべてポケットに入れた。こうすれば警察も先輩がいなくなったのは無関係で、運悪く強盗に入られたと思うことだろう。運が良ければ先輩が事務所の現金を盗んで行方をくらましたことにできるかもしれない。

 あとは先輩をうまいこと処理すればいいだけ……。
 そのとき僕の脳裏に過去の記憶がよぎった。


  ※


「そうそう、また泥棒に入られないように、監視カメラを付けることにしたんだよ。“事務所の中にも一つ付いてる”から、もう悪いことはできないからね」

 社長の山本がそう言うのを、僕と先輩で「そんなことしませんよ~」と笑ったのではなかったか。
 先輩の不注意で先輩を冷凍庫に閉じ込めて凍らせてしまい、そのことを隠ぺいしようとすることは果たして悪いことに入るのだろうか。ひょっとすると悪いことに……いやひょっとしなくても悪いことに入るだろう。

 誰のせいでこんなことになっていると思っているのか。僕は呑気な恰好で凍っている先輩を見て気分を悪くするけど、暴力をふるうには先輩は硬く、冷たくなりすぎていた。
 そんなことより、僕が氷漬けになった先輩を台車で運んでいる姿をカメラに収められているのはマズい。SSH待ったなしだ。

 待てよ、いくら監視カメラがあると言っても、この貧乏な会社では、どこかの警備会社に二十四時間監視させる経費なんかないだろう。つまり、どこかにカメラの映像を録画しておいて、なにかあったら警察に提供するくらいが関の山だ。
 今のうちにその録画データの処分さえしてしまえば、SPM(先輩の道連れ)は免れるはずだった。

 ただ、監視カメラの録画データがどこにどう保存されているのか。仮に事務所のパソコンであれば、叩き壊せばデータがすべて復元不可能な状況になるのか、僕には見当もつかなかった。
 また来たのかと思われそうで、ホームセンターに行くのは気が引けたが、仕方がないので僕はホームセンターに走った。ポリタンクに灯油をたっぷり入れてもらって、ついでにライターも買うと、僕は事務所まで急いだ。

 灯油の重さに腕がぱんぱんになり、明日は絶対に筋肉痛になるだろう。
 ただ、明日はおそらく仕事が休みになるであろうことは分かっていた。
 上司の山本が金にがめついといっても、“事務所が全焼”してしまえば、さすがに仕事をしろとは言えないだろう。

 僕は事務所に戻ると、事務所と奥にある冷凍庫に、ついでにさらに奥の精肉工場のほうにもまんべんなく灯油を撒いた。冷凍庫の中のものはおそらく溶けてしまい、大変な損害になるだろうが、それは僕でなく経営者が心配すればよいことだった。
 あらかた灯油を撒き終えて火をつけると、火は一気に燃え広がっていった。これで証拠はすべて溶けてなくなるはずだった。

 なんだ、最初からこうすれば良かったんじゃないか。僕は燃え広がっていく火を見ながらしみじみとそう思った。

「おい、」

 そのとき後ろから聞えてきた声を聞いて、僕は飛び上がった。

「あれ、先輩、どうして?」
「どうしてじゃねーよ。冷凍庫で作業してたら急に閉じ込められて、気づいたらこんなとこにいて、事務所も燃えてるし、なにがあったんだよ」

 先輩は水浸しだった。表面を覆っていた氷が炎で解けてしまったのだろう。心臓は止まっていなかったのだろうか。確かに先輩は無駄に生命力が強そうだ。
 僕はなにを言うべきか迷ったけど、すぐになにを言っても同じだということに気が付いた。

 先輩の氷が溶けて蘇生しまったとしては、これまでの苦労がすべて“水の泡”になってしまう。先輩を氷漬けにした犯人を知っている人がいることは、僕にとっては不都合だった。

「ちょっと先輩、動くと危ないんで、そのままじっとしといてもらえますか?」
「え?」

 僕は炎がこちらに迫ってくる前に、先輩に向かってハンマーを振り上げた。



 血の付いたハンマーをからからと引きずりながら、僕には一つ決意していることがあった。
 もう今の仕事は辞めてしまおう。
 どうせしばらくは営業できないだろうし、これ以上あそこで周りの人たちから迷惑をかけられるのは御免だった。

 それよりも、次からはホームセンターで働こう。そうすれば、なにかあったときにすぐにいろんな道具が揃って、これまで以上に手際よく、物事に対処できるはずだから。

 事務所が見えなくなったころに、消防車のサイレンが遠くから聞えてきた。どこかで火事でもあっているのだろうか。
 まあ、なんにせよ、僕には関係のないことだった。











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