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【ショートショート】「第七原稿用紙彷徨」(小説宝石からの挑戦状(テーマ『土壇場』)応募作(5,063字))

 マズいことになった。
 時計を見ると八月十七日の午前二時すぎ。どう計算しても締切まであと二十四時間を切っている。

 最初はそれなりに余裕があったのだ。あれはまだ七月の末ごろのことだった。

 うだるような暑さで外に出る気にもなれず四畳半の家でゴロゴロと転がりながらスマートフォンの画面などを眺めていた俺の目に、ある文字が留まったのだった。

『あなたのデビュー作をプロデュース! ――小説宝石からの挑戦状――』

 どうやらインターネット上に小説を投稿するサイトがあり、そのサイトで行われているイベントで小説を募集しているようだった。文芸誌と小説サイトとの共同企画らしく、大賞を受賞すると「小説宝石」へのデビュー作掲載を目指して、担当編集者がついたうえで指導してくれるらしい。

 自分が書いた小説が文芸誌に載るということは、プロの作家になるということだ。ファンもたくさんできるだろうし、印税とやらもたくさん入ってくることだろう。デビュー作が芥川賞か直木賞かの候補になって、ひょっとしたら受賞してしまうかもしれない。受賞インタビューで話題性のあることを言えば、ニュースにもたくさん取り上げられるだろうし、テレビ局の目に留まればクイズ番組なんかに出演してお茶の間の人気者になってしまうことだってあるだろう。
 夢がいっぱいではないか。

 このチャンスを活かさない手はない。三十代も半ばになって、定職にも就かず、彼女どころか異性と会話する機会すらなく、週四回のコンビニ夜勤のアルバイトを終えて寂しくカップラーメンを啜る生活とはこれでおさらばだ。

 俺は勢い込んで立ち上がると、ポケットに財布を突っ込んで外へ出た。

 暑かった。足を一歩出すごとにアスファルトを踏みしめるサンダルの裏が溶けているような感覚があった。蝉がやたらやかましかった。皆して俺のことを馬鹿にしているように感じた。今に見ていろ。俺にはもうすぐ担当編集者がつくのだ。担当編集者がつけば、やかましい蝉などがいない執筆に専念できる避暑地を用意してくれることだろう。
 角を曲がり、やってきたバスに乗ると、俺は郊外の大型書店の前でバスを降りた。

 並んでいる本の中身をぱらぱらとめくり、ここに書いていることをそのまま書き写したら簡単に賞なんかとれちゃうんじゃないだろうかしらと一瞬脳裏によぎるも、滅多なことをして新聞にでも載ったらまた母ちゃんを泣かせてしまうため、とりあえず原稿用紙とHBの鉛筆だけ買うとバスに乗って四畳半のアパートへと引き返した。

 準備は整った。俺は鉛筆一ダースを丁寧に削ると、原稿用紙の隣に並べた。
 この時点で俺はインターネット上に小説を公開するうえで原稿用紙と鉛筆は必要ないことに気づいていたが、こちらの方が気分が盛り上がるのでこのまま原稿用紙に小説を書くことにした。将来的には担当編集者がやってくれるのだろうが、今回は原稿用紙の文字を見ながら自分でスマートフォンに打ち込んでいけばいいのだ。

 俺は鉛筆を握りしめた。

 ………………………………。

 俺が虚空を見つめていると、いつの間にか十数分が経過していた。俺が小説を書こうとしている事実に俺自身が拒否反応を示しているようだった。これはいかんではないか。

 そもそも小説というのはなにを書けばいいのか。そんなことはこれまで誰も教えてはくれなかった。不親切ではないか。どうせ後からつくのなら今から担当編集者がやってきてなにを書けばよいか教えてくれても良いのではないか。

 こういうときはとりあえず寝た方がいいだろう。寝ると脳が活性化するというし、こう机に向かいっぱなしでは出るアイデアも出ないだろう。
 俺は万年床に寝転がると目を閉じ、起きるとアルバイトへ向かい、それが終わるとまた眠った。

 気付けばバイト先のカレンダーは八月に変わっており、小説の投稿の締切日である八月十七日〇時まではあと二週間を切っていた。

   ※

 俺は原稿用紙の上に立っていた。端を目指して歩くのだが歩けど歩けどたどり着かない。足元には汚い文字が並んでいる。この読めるかどうか微妙な汚さの文字は紛れもなく俺の文字だろう。

 ふと、なにか大事なことを忘れているような気がした。

 そうだ。俺は担当編集者をつけて作家デビューしてクイズ番組に出るために小説を書き上げなければいけないのだ。
 そういえば、今日は何日だろうか。確か昨日が八月十六日で締切が――

「夢かいな」

 目を覚ますとシャツがぐっしょりと濡れていた。スマートフォンで日付を確認すると、まだ締切までは十日あった。
 俺はシャツを着替えると原稿用紙と鉛筆を握りしめてバスで図書館へ向かった。

 俺の住むアパートはNHKの集金や蝉たちや壊れかけの冷房が、俺の頭にアイデアが浮かぶのを邪魔してくるため小説を書くには不向きのようだった。俺がデビューするのが都合の悪いライバルたちが、俺の執筆を邪魔している可能性も考えられた。

 図書館は俺のアパートより数段涼しくて快適だった。
 小説を書き始める前に応募要項を読んでみると、今回の公募ではあるテーマをもとに小説を書かなければいけないらしい。

『土壇場』というテーマで書けというが、土壇場の意味からして分からない。調べてみると、「首を切る刑場。転じて、物事が決定しようとする最後の瞬間・場面。」と出てきた。
 土壇場、どたんば、ドタンバ、DOTANBA……。あかん。なにも思いつかない。これはテーマの設定ミスではないか。

 そこで俺の脳裏に閃くものがあった。
 締切ももう間近になっているというのに斬新なストーリーを思いつくことができず、自分の才能がまさに埋もれてしまおうとしているこの状況こそ「土壇場」と言えるのではないか。そう考えると締切に追われる俺は首を切られるのを待っている受刑者のようでもあった。

 俺は小説を書き始めてからの俺の体験で十五枚の原稿用紙を埋め尽くすことにした。まずなにを書くべきか――。そうだ、全ての始まりはあれだ。自分の部屋でゴロゴロしていたらあれを見つけたんだった。

『あなたのデビュー作をプロデュース!――小説宝石からの挑戦状――』

 それから俺はバスに乗って書店に向かったはずだ。そして俺がこうして小説を書いている原稿用紙を買ったのだ。小説の中の俺が小説を書くための原稿用紙を買う場面を小説に書くなどなんだか奇妙な気分だった。そうだ、どうせ小説なら蝉など一匹もいない南青山の自宅で小説を書いてることにしようではないか――。

 最初は慣れない作業に苦戦したが、次第に筆が乗って二枚三枚と原稿用紙は黒く塗りつぶされていった。

 気が付くと俺は自室でひたすら原稿用紙に文字を書いたり消しゴムで消したりを繰り返していた。額から落ちる汗で原稿用紙はふにゃふにゃになっていた。書きあがった原稿用紙はまだ八枚程度であった。いつの間にそんなに時間が経ったのか締切までは三日を切っていた。


 外はしんと静まり返っていた。

 原稿を少し前から読み返す。原稿用紙の中の俺は締切を二日後に控え、残りの原稿用紙をどう埋めるか頭を抱えていた。その体勢は今の俺と全く同じ体勢だった。俺が把握しているだけで俺と、俺が原稿用紙に書いている俺が頭を抱えていたが、その俺が頭を抱えているということはそいつが書いている俺も頭を抱えているだろうし、その俺が書いている俺だってきっと同じだろう。これはもはや無限に続いているのではないだろうか。

 そして俺には気になっていることがあった。
 小説を書くにあたって、主催者が発信している動画を見たのだが、その中で審査員を務めるであろう男が「驚きがある作品を読みたいと思っている」と言っていた。つまり"意外性のあるオチ"を考えなければいけないのだ。さらに、「途中でダメかもと思っても、最後まで書き上げろ」とも言っていた。無茶苦茶である。そんなものが両立するのか。素人にどこまで求めるつもりなのか。そんなことは編集者にさせた方がよいのではないか。

 だが、諦める気は微塵もなかった。原稿用紙に嘘を書き並べて金をもらうなど、俺にとっては天職である。ライバルどもよ、誰が諦めてやるものか。

 俺たちは拳を固く握りしめると、とりあえずいったん眠ることにした。

   ※

 マズいことになった。
 時計を見ると八月十七日の午前二時すぎ。どう計算しても締め切りまであと二十四時間を切っている。

 俺は自室で書きかけの原稿用紙を前にかれこれ三十分以上頭を抱え続けていた。

 意外性のあるオチ。
 それだけあれば俺はこの小説を書き上げることができるような気がしていた。もはや背に腹を変えられる状況ではなかった。

 深夜であるにも関わらず俺は最寄りの図書館までの道を走った。当然のことながら図書館の自動ドアは開かなかったので、トイレの窓ガラスを割って図書館の中に侵入すると、スマートフォンのライトを頼りに本を一冊ずつめくり始めた。
 小説をそのまま書き写すことはやはり諸々の問題があるのだろうが、小説の形態や構成を多少真似たところで誰も気づくまい。

 次の瞬間、俺は一冊の本から天啓を得た。

 その小説は小説の中の登場人物がその小説自体を書いているという設定が設けられた一風変わった小説であった。
 これは俺が書いている小説にそのまま転用できるではないか。

 これまで作者が書いたと思って読んでいた小説が、まさか小説の登場人物が書いていた小説だと知れば、審査員たちも度肝を抜かれて腰を抜かすだろう。ざまあみそらしど。高いところから偉そうに素人の小説を批評ばかりしているからそのようなことになるのだ。俺の担当編集者になったやつにはそのようなことのないように説教する必要がありそうだ。

 そんなことよりもまずは小説を完成させなければならない。
 俺は南青山の自宅に引き返すと、短くなった鉛筆を握りしめて原稿用紙に小説の続きを書き始めた。

 気付けば白紙の原稿用紙は残り二枚ほどになっていた。その原稿用紙が俺の手元に実在しているものなのか小説の中に文字として存在しているものなのかもはや俺には判別することが難しかったが、俺がやることはただ一つ。小説を書き上げること。それだけだった。

 時間がなかった。原稿用紙の文字を小説サイトに転記する必要もある――いや、本当の俺はパソコンで小説を書いているから問題はない。俺はただ俺の小説を書き上げることさえできればよいのだ。気づけば締切は数時間後に迫っていた。

   ※

 俺はまた原稿用紙の上に立っていた。
 原稿用紙は縦横だけでなく上下また時間軸すら超えて無限の広がりをみせていた。俺はそのマスの上を駆けまわったりよじ登ったりしながらただひたすらにその場所を目指した。原稿用紙十五枚というのは思えば俺にとってなんと遠い旅路であったろう。なんのためにこんなところまで来たのだったか。誰かに俺の小説を読んで欲しかっただけではなかったか。誰かに俺の小説を読んで、面白いと言ってもらいたいだけではなかったか。
 俺たちはそこまでたどり着くことができるだろうか。この無数のマス目の向こうにそのような未来が果たして待っているのだろうか。

 ふと気配を感じて顔を上げると、妻がパソコンの画面を覗き込んでいたので驚いた。

「珈琲、淹れてきたから」そう言う妻に対し、俺は「わざわざ画面見なくてもいいだろ」と抗議する。
「間に合いそう?」妻はパソコンの横にカップを置いて言った。
「どうかな。ぎりぎり。オチが決まらない」
「いつもそれ言ってるね」
「難しいんだよ」
「どんな小説なの?」
「小説の中に俺がいて、その小説の中にも俺がいて小説を書いていて、さらにその小説の中にも俺がいて小説を書いていてそれが何重にも続いていく。そして皆が土壇場で頭を抱えている」
「変な小説だね」
「そう、変な小説なんだ」
「私も小説の中の登場人物?」
「あるいはそうかもしれない」
「嘘つき」
「小説を書く人なんて皆嘘つきだよ」

 俺は原稿用紙に向かって鉛筆を走らせていた手を止めた。
 時計は八月十七日の〇時を指していた。締切がやってきたのだ。だがその数秒前に、俺は最後の一文字を書き終えていた。

 小説を書くということは嘘をつくということだ。俺は上手に嘘がつけただろうか。それはきっとこの小説を読んだ人たちが判断してくれることだろう。
 俺は原稿用紙の最後に記されたその文字をしばらく眺めてから少し笑うと、やかましい蝉の鳴き声を聞きながら次回作の構想を練り始めた。

(完)

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