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【ショートショート】「電化製品創世記」(5,307字)

一日目 暗闇がある中、神は光を作った。これにより昼と夜ができた。
二日目 神は天を作った。
三日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物を生えさせた。
四日目 神は太陽と月と星を作った。
五日目 神は鳥と魚を作った。
六日目 神は獣と家畜を作り、神に似せた人を作った。
七日目 神は電化製品と家電量販店を作った。

<旧約家電聖書『電化製品創世記』より>


「ちょっと用事があって出てくるから、エデンの園の留守番を頼んだぞ」神は言った。
「どのくらいで戻ってきますか?」

 アダムが尋ねると、神は長い髭を撫でながら答えた。

「だいたい一週間ほどで戻る。何度も言うようだが、くれぐれも家電量販店には――」
「絶対に近づいてはいけない。近づけば恐ろしいことが起きるだろう」

 神のいつもの言葉を引き継ぐと、アダムの隣にいたイブはくすくすと笑った。

「オホン、分かっていればいいのじゃ。それじゃあ、悪さするんじゃないぞ」

 神は去っていき、エデンの園にはアダムとイブの二人だけが残された。
 神によって初めての人間であるアダムが作られ、そのあばら骨からイブが作られた。
 それからというもの、二人は神が創造したエデンの園で、何不自由なく暮らしていたのだ。

 エデンの園には瑞々しい草原や明るい森が広がり、清流の小川が流れ、大小の動物たちが仲良く暮らし、常にどこからで小鳥のさえずりが聞こえてくる素晴らしい場所だった。
 アダムもイブもここでの生活に不満などなかった。ただ、特にイブの方は、幸福だけどどこか物足りないような、そんな思いを常に感じているのだった。

「さて、これから一週間、羽を伸ばせるわけだけど、どうやって過ごそうか」

 アダムの言葉を聞いて、イブは笑った。

「別に神がいようがいまいが、あなたはいつだってのんびり過ごしているでしょう」
「自分が作ったものだから当然かもしれないけど、神は僕たちに甘いからね。例の事件のときもそこまで怒られなかったし、エデンの園の中央にある家電量販店とかいう場所に入らない限りは、僕たちのことを怒ったりすることもないだろうさ」
「けれど、あれだけ口を酸っぱくして近づかないように言うからには、とても危険な場所なんでしょうね」

 イブは自分の体を抱きしめて震えてみせた。

「なに、むしろ俺は逆だと思うぜ」
「逆ってどういうこと?」
「家電量販店っていうのはこの場所以上に素晴らしい場所で、そんな場所が自分以外にバレるのが嫌だから、ああやって近づかないように言うんだと思うね」

 アダムはそれだけ言うと、木の実をもいでくると言って森に入っていってしまった。

 残されたイブは、アダムの言葉を思い出し、悶々と家電量販店のことを考えてしまった。

 そんな素晴らしい場所があるなら、一度は行ってみたい。近くでどんな場所か見るだけ、入らなければ、きっと神も怒りはしまい。それに、神はこれから一週間の間、ここに戻らないのだ。
 考えれば考えるほど、チャンスは今しかないように思えた。

 イブは辺りに注意を払いながら、森を抜けた先にあるエデンの園の中央に向けて歩き出した。


 そこにあったのは箱状の建物のようだった。
 二階建ての、なにかの保管庫だろうか。入り口に店名を示す文字が書かれていたが、残念ながらイブはまだ文字を読むことはできなかった。

 外から中を覗き込む。見たことのない物が数多く並んでいるようだったが、中は明るく、とりあえず危険はなさそうだった。

 ――なにかあれば、すぐに帰ればいいんだから。

 意を決して、イブは自動ドアの間を抜けて店内に入り込んだ。

「っしゃいあせー」

 店に入るやいなや声をかけてくる人間の姿がありイブは驚いた。
 アダム以外の人間と会ったことはこれまで一度しかなかったが、そこに現れたのは、その一度だけしか会ったことのない人物だった。

「蛇谷さんじゃないですか、お久しぶりですね」

 イブが声をかけると、蛇谷は慌てて言った。

「イブさん、どうしてここへ!? ここには神から近づかないよう言われているでしょう」
「あんまり近づかないよう言われるものだから、急にどんな場所か気になってしまって。ここってなんの場所なんですの?」
「ここは家電を売る場所ですよ。家電っていうのは、生活を便利にする道具のことで」
「あら、なんだか素敵そうね。その家電っていうの、私でも頂けるのかしら」
「いやいや滅相もない。もし人間に家電を売ったことが神に知られたら、どんな罰を与えられるか想像もつかないですよ」

 蛇谷が慌てるのには理由があった。蛇谷には前科があるのだ。
 家電量販店に就職する前、蛇谷は出来心からイブに知恵の木の実を食べることを勧めて食べさせてしまったのだった。
 家電量販店に近づかないように約束させたのと同じように、“善悪を知る知恵の木の実”や“生命の木の実”を決して食べないよう、神からアダムとイブに厳しく言いつけていたことを知っていたにも関わらず、だ。

 また、蛇谷に勧められるがまま知恵の木の実を食べたイブは、その実をアダムにも食べさせてしまった。
 それを知った神は怒り、蛇谷に家電量販店での無給での勤務を告げ、アダムとイブには「絶対に次はないからな」と言ったのであった。

 あんなことがあった後に、またイブに家電を売ったことが知れたら、蛇谷は神から恐ろしい目に遭わされるに違いなかった。

「この家電量販店は神のために常に最新の家電を取り揃えているんです。神以外の人にお売りするのはちょっと……」
「じゃあとりあえず、売ってるものを紹介してくださいな。売ってくれるかどうかはそれから決めてもいいから」
「そう言われてもな……」

 答えながら、蛇谷はどの商品を紹介するか考え始めていた。
 曲がりなりにも家電量販店の店員となった蛇谷が、客から商品を紹介してくれと言われて断るのは、家電量販店の店員としてのプライドが許さなかった。

「そういえば、イブさんって、最近、服着るようになりましたよね」
「ええ、あの知恵の木の実を食べてから、裸で過ごすのが急に恥ずかしくなって。布を巻いただけの簡単なものだけど」
「失礼ですけど、その服ってちゃんと洗ってますか?」
「本当に失礼ね、ちゃんと洗ってるわよ」
「どうやって洗ってます?」
「そりゃあ、小川の中で岩に擦り付けたりして洗って、終わったら木に掛けておけば半日もすれば乾いてるわ」
「それ、この洗濯機を使えば、ボタン一つで綺麗になるうえに、短時間で乾燥までさせることができますよ」

 蛇谷が指さしたのは、イブの身長よりも小さい長方体の物体だった。
 側面に丸型の切り込みがあり、中が見えるようになっていた。中身は空洞のようだった。

「これは洗濯機の中でもドラム式といって、水道料金の節約や乾燥に優れている種類のものですね。今は歳末大還元セールの時期なので、価格の方もだいぶお求めやすくなっていますよ」

 イブにとってはよく分からない単語ばかりだったが、服に関して、今の生活をよりよいものに変えてくれるものだということは分かった。

「この、洗濯機っていうもの、ドラム式のほかにもいろんな種類があるの?」
「もちろんです! 主流はこの縦型洗濯機というやつですね、こちらはなんといっても洗浄力が売りです。小さい子供さんがいるご家庭では泥汚れなんかも多いでしょうけど、こちらの縦型だとたちまち綺麗になりますよ。一応こちらにも乾燥機能は付いていますし、ドラム式より若干お安くなっています」

 蛇谷が案内した洗濯機は、ドラム式とは違い開閉部が上部についており、ドラム式よりも若干縦に長いつくりであるようだった。
 しばらく迷ったが、やはり衣服を洗うのであれば洗浄力が最も重要であるように思えた。それに価格が安いというのは魅力だった。エデンの園にはまだ金銭の概念はなかったが、“安い”という言葉はイブの本能的な部分に訴えかけてくるものがあった。

「じゃあこちらの乾燥機能付きの縦型洗濯機をいただこうかしら」

 イブが言うと、蛇谷はハッとして泣きそうな顔になった。

「ですから、これは神様以外の人には売れないんですよ」
「なに言ってるのよ。これだけ製品の紹介をしておいて、今さら売らないなんてひどいじゃないの!」

 イブの言うことももっともだった。
 しばらくそのまま押し問答が続いたが、関連企業のスマートフォンを契約することと店舗のポイントカードを作ること、三年間の延長保証を付けることを条件に、蛇谷はイブにその縦型洗濯機を購入を認めたのだった。


 翌日から、イブの生活は格段に便利になった。
 それまで毎朝早起きしてアダムとイブの服を洗っていたのが、洗剤を入れてボタン一つ押せば済むので、その時間は草原を駆けまわったり小鳥と歌い合ったりすることに使った。木に干していた服が生乾きで異臭を発し、アダムに文句を言われることもなくなった。

 このエデンの園に足りないのはまさにこの家電というものだったのだと、イブは確信していた。
 近いうちにまたあの家電量販店を訪れ、このほかにも生活を便利にするためのものを買おう、イブはそれを楽しみにするようにさえなった。


 それから数日して、イブが小川で水浴びをしていると、神が出先から戻ってきた。

「いい子にしていたか」
「ええ、アダムと楽しく過ごしていたわ」

 知恵の木の実を食べていたイブは平然と神に対して嘘をついた。

「ちょっと待ってくださる、服を着ますから」
「おお、これはすまんな」

 神がよそを向いているうちにイブは小川から上がり、急いで木に掛けていた服を着た。

「もういいですわよ」

 神がイブの方に向き直ると、その姿に唖然とした。
 これまでは膝下まで巻いていたはずの布が太ももの上部までしかなく、ほぼ性器が露出しているような状態になったいた。また、どこか人工的な果実の香りが辺りに漂っていた。

「前見たときよりも、随分、服装が刺激的なようだが……それに、なにか嗅ぎなれない香りがしていると思わないか?」
「気候がいいから服は少し短くして、気分を変えようと果物の果汁を塗り込んだりしたけど、そんなに変かしら?」

 本当はイブが着ていた服が乾燥機に対応しておらず大幅に縮んでしまったことと、香りは柔軟剤(クラシックフローラル)の香りであったが、神は気付かなかったようだった。

「あら、お帰りですか」

 そこへ、アダムがやってきた。どこに行っていたのか、イブもその姿を何日か見ていなかった。

「おお、アダム、久しぶり――」

 アダムの姿を見た神とイブはぎょっとして目を見張った。
 それまでアダムの顔は黒々とした髭に覆われていたが、その髭がすっかりなくなっていたのだった。

「お前、その顔、どうしたのだ……」
「これですか、朝起きたらすべて抜け落ちていまして」

 神の問いかけに、アダムは飄々とうそぶいた。家電量販店で買った電気シェーバーのことは言わなかった。
 アダムはイブに比べて嘘が下手だったので、イブにはすぐにそれが嘘だと気づいたが、お人よしである神はそれを信じたようだった。

「そ、そうか。まあ、二人ともいろいろとあるようだが、無事であるなら良かった」

 用事があるという神の背中を見送って、アダムとイブはほっと胸を撫でおろした。

「なんだい、君、その服の長さと匂いは」
「あなたこそなによ、その顔は」
「「さては……」」

 二人はぴんと来て、お互い気まずそうに顔をそらした。

「とにかく、これは君と僕だけの秘密だ。絶対に神にバレないように」
「分かったわ。神が近付くことを禁じる家電量販店に行ったことは、私とあなただけの秘密よ」

 深く頷き合った二人だったが、その秘密はすぐに露見してしまった。
 その足で家電量販店へ向かった神が洗濯機と電気シェーバーを買い求めたところ品切れ状態となっており、自分以外の人間に家電を売ったことに気付いたのであった。
 神がカンカンに怒ったのは言うまでもなかった。


 それから幾年月が経過した。
 すでにエデンの園に人間の姿はなかった。

 このままでは残された”生命の木の実”もきっと食べてしまうだろうと考えた神は、アダムとイブを楽園であるエデンの園から追放したのだった。
 また、二度までも神に背き、さらにイブに十二回ローンを組ませて洗濯機を購入させていた蛇谷も、一生腹ばいで歩く呪われた存在へと姿を変えられてしまった。

 現在、アダムとイブの子孫である人間は、楽園ではなく地上で暮らしている。
 ただ、この決して幸福に満たされているとは言えない地上において、人々のオアシスとなっているのが家電量販店だった。

 すでに家電量販店は神の所有物ではなかった。人々はアダムとイブの原罪も忘れ、日夜、家電量販店を訪れては新しい電化製品を買い漁った。人々の便利な生活を求める貪欲さは留まることを知らなかった。
 このような状況を神がどう思っているか、もはや人類に知るすべはない。

 ただ、週七日間の労働を終える度に、人々は、便利な生活を送るために家電を作ってくれたのはいいけど、七日間のうち一日くらい休んでくれればよかったのにと、神に対して恨めしい気持ちにもなるのだった。










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