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【ショートショート】「鳥人間グランプリ優勝者コメント(一部引用)」(3,792字)
鳥人間グランプリとは、一九八〇年に滋賀県の琵琶湖ではじめて開催された人力飛行機の滞空距離及び飛行時間を競う競技会である(一九八〇年時点)。
当初は個人参加が多かった当該大会も、開催規模が大きくなるにつれて高校や大学の部活動やサークル、また海外からの挑戦も多くなり、現在においても大きな注目を集めている。
以下は歴代の優勝者(滞空距離部門)のコメントのうちの一部を引用したものである。
※
第五回鳥人間グランプリ優勝パイロット 斎藤 博文(個人参加)
記録 515メートル
今日は風も強く、あいにくの天候ではありましたが、多くの参加者がスタートしてすぐに落下していく中、うまく風に乗れたこともあり五百メートル近い距離を飛ぶことができて本当に感激しています。
まだまだこの大会はマイナーな、いわゆる一部の飛行機オタクたちの大会で、そもそもパイロットがペダルを漕ぎ、その回転を伝えることでプロペラを回す人力プロペラ機という飛行機があまり一般的ではありません。
それでも僕がこの大会に出ようと思ったきっかけは、親父が『北海道飛行クラブ』というサークルに入っていまして、最初はちょっと大きいだけのプロペラ機の模型が空なんて飛ぶわけないだろう、って馬鹿にしていたんですが、休日に僕のことなんか放ってプロペラ機を一センチでも遠くへ飛ばすために仲間たちと試行錯誤する親父の姿を見ていたら、少しずつ僕も興味を持つようになって、それから五年もしたらこのざまです。
なんとなく素直になれなくて、親父と同じ『北海道飛行クラブ』に入ることはできなかったですけど、これもいい機会だと思うんで、これからは一緒のサークルに入って、僕が作ったプロペラ機で親父を遠くまで飛ばしてやりたいと思います。
第一回目の大会から今大会にかけて、記録が二百メートル以上伸びたと聞いています。
少しずつ少しずつ、機体もパイロットの技術も進歩しているようです。いつか琵琶湖を端から端まで往復してしまう時代が来るかもしれませんね。
その日が、今から楽しみでなりません。
どうもありがとうございました。
第二十九回鳥人間グランプリ優勝パイロット 青山 陽輔(北九州大学工学部自然科学サークル)
記録 28,000メートル
最高の気分です! 死んだお袋、見てる?(空に向かって手を振る)
すいません、ちょっと興奮しちゃって。琵琶湖の空を切って走る感覚が本当に言葉にできなくて。
実は今回、僕は三回目の参加なんです。
二年前は離陸直後の操作ミスで記録三メートル。去年は善戦して一万二千メートル。そして今年ついに、大きな記録を打ち立てることができました。
鮮明に思い出せます。毎日数マイクロメートルずつ削ったプロペラ、足の感覚がなくなるまで漕いだエアロバイクのペダル、無限に繰り返される干渉影響試験や強度試験……。
そう、僕がここにいるのはそんな裏方の仕事を率先してやってくれた仲間たちのおかげです。
クサい言い方かもしれませんが、彼らが僕の翼でした。
来年、僕は大学を卒業してここにはいないでしょう。ただ、僕の後輩やまだ出会ったことのない仲間たちが鳥となって飛び続けてくれる。そこに青い空がある限り。それが本当に嬉しい。
なんて、本当にクサいですね、あとで笑われちゃうかもな。
皆、本当にありがとうな。
第四十回鳥人間グランプリ優勝者 高梨 笑吏(個人参加)
記録 57,000メートル
そちら映像映っていますか? あ、大丈夫なようですね。
皆さんはじめまして。鳥人間グランプリ、記念すべき四十回目の優勝者、高梨です。
今回は皆さんご存じの通り、初めての試みということで、途中、いろいろなハプニングはありましたが、努力の甲斐あって辛くも優勝することができました。
今年に入ってずっと猛威をふるっている新型コロナウイルス感染症により外出自粛の日々が続いていますが、ヴァーチャルリアリティ――いわゆるVRによって開催された鳥人間グランプリをこんなにたくさんの人が見てくださっていることを純粋に驚いています。
実は私、去年は大学のサークルでこの大会に出場したんですが、今回はプロペラ機もプログラミングして、自宅にいながらエアロバイクを漕ぐことで架空の琵琶湖を滑空できると聞いて、情報システム工学科生の血が騒いで、いてもたってもいられなくてサークルの皆には申し訳ないけど一人で参加させてもらいました。
部屋の中で「ペラ回します!」って一人で叫んでるのちょっと恥ずかしかった(笑)。
なんというか、時代の流れを感じますよね。
ただやっぱり、風を感じたり湖からの高さに冷や汗をかいたり水を浴びたり、空から多景島を眺めながら、そういったものが少し懐かしくなりました。
来年はまた琵琶湖に集まれるといいですね。
それでは皆さん、また来年!
第八十七回鳥人間グランプリ優勝者 個体識別番号E二八六四一
記録 74キロメートル
皆さんこんにちは。
こんな時代だからこそ、こうして大会に参加できただけでなく、こうして優勝できたことを本当に嬉しく思います。
西日本と東日本の戦争は十年目を迎え、泥沼化して久しいですが、こうして年に一度だけ、西も東もなく、優勝という一つの目的のために競い合う。なんて素晴らしいことでしょう。
今でこそサイボーグ化した肉体による参加が主流になっていますが、この大会もかつては、人力プロペラ機を必死に漕いで参加者同士がプライドをぶつけあったと聞きます。
見ての通り、私の体のほとんどはサイボーグ化されています。
人間であった部分は脳の一部のみで、ある任務のため、体の一部が翼の形状をしています。
そしてこの体で、私は人を殺します。戦争というのはそういうものだからです。
私の小さな脳はその時々のことを鮮明に記憶していて、ふとした瞬間やスリープ状態になっているときによくそのことを思い出します。
ただ、空を飛んでいるときだけは忘れられる。
心が、自由になるんです。
はじめ、私は自分の体をこのようにした大人たちを憎みました。私は戦争孤児で、生きるにはこうするほかなかったとしても。
ただ、私は気づいたんです。体は私のものでなくても、心だけは自由な瞬間があったっていい。
私は明日からもこの体で知らない人を殺すでしょう。それでも心だけは手放したくない。それが、私がこの大会に出たただ一つの理由です。
そうそう、生まれてはじめて琵琶湖を見ましたが、西日本にはまだこのような自然が残っているんですね。私はこの景色を一生忘れないと思います。
西日本の皆さん。明日からはまた敵同士です。お互い負けないように頑張りましょう。こんなこと言うと帰ったら怒られちゃいますね。
ありがとうございました。
第百五十三回鳥人間グランプリ 優勝者 名称不明
記録 記録不明(最終観測距離12,000キロメートル)
あ、あ、皆さん聞こえますか?
こうして世界政府本部から公共の電波を使って皆さんの脳内に直接信号を送るなんてはじめてのことなので、少し緊張しています。
まず、今回の鳥人間グランプリの優勝者は私ではありません。私はただ優勝者のコメントを伝える伝言役とでも思ってください。
さて、今回の鳥人間グランプリも大記録の連続でした。それもそのはずです。参加者の大半は遺伝子改造を行い、遺伝子レベルで完全に本物の鳥となった元人間ばかりなのですから。
そして彼らの多くは、琵琶湖跡地から旅立ったが最後、二度と戻ってきません。
見事、優勝を果たした彼もそのうちの一人です。もはや自分がかつて人間だったことも覚えていないでしょう。そして現在の地球の大気に、疲弊した彼の肉体は耐えきれないでしょう。
それでも彼は幸せだったと思います。
以下、優勝者から預かったコメントです。
このコメントが読まれているとき、私はもう人間ではなくなっているだろう。
かつて空を飛ぶことができる野生の動物がいた、そのことを想うだけで私はこれまで生きることができた。そして私自身そうなることができるなんて、この感動は言葉に代えられそうにない。
この大会を通じて、かつて『鳥』という動物がいて、自由に青い空を飛びまわったり、美しい湖のほとりで羽を休めたりしていたということを一人でも多くの方に知ってもらえたら幸いだ。(かつて空が青く、地面に清潔な水が張っていた時代があったなんて想像できるだろうか)
この大会が機械工学のフェーズから遺伝子工学のフェーズを迎えたように、これからの鳥人間グランプリは哲学的なフェーズや神学的なフェーズを迎えることだってあるかもしれない。
ただ、これだけは忘れないでほしい、かつて遠い空にあこがれ、思いを馳せ、『鳥』という動物と同じように空を飛ぼうとした人間たちがいたことを。忘れないでほしい、挑戦する気持ちだけ。
以上です。ありがとうございました。
※
以上が、かつての鳥人間グランプリの優勝者のコメントの引用である。
このコメントを読むだけでも、この大会がどのような変遷を経て今日を迎えたか、どのような言葉を用いるよりも皆さんに伝わることだろう。
では、これより第二百二十二回鳥人間グランプリを開会する。まずは出場者の紹介から――
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