5/18 大好きだった祖母が亡くなった。
96年の大往生だった。
90歳を過ぎてまで、
毎朝の1時間以上のウォーキングを欠かさず、
自転車に乗り、買い物に行くようなとても90過ぎの老人とは思えないエネルギーを持った人だった。
そんな、祖母も数年前、心臓を悪くし、本人の希望によりペースメーカーを入れた。
ペースメーカーのおかげで、その場の容体は回復した。
しかし、晩年は、そのペースメーカーのおかげで、なかなか逝くことができず苦しでいたように感じる。
体調が優れない時の祖母の言葉が、頭を駆け巡る。
医療の発展で、「生きる」という選択肢が比較的自由に取れるようになってきた。特に、日本だと米国のように高額すぎて治療を受けれないという疾患は少ない。祖母の件をとっても90歳を過ぎてペースメーカーを入れてでも、まだ生きたいと思った場合に選択肢が用意されていた。
再生医療や医療を志す身としては、これかも、もっと選択肢を増やしていくことのなるだろう。
しかし、選択肢は増える一方、どの選択肢を選ぶのか、それとも、どの選択肢も選ばないのか、人生100年時代においては、より難しい選択を迫れていくのだろう。
火葬された祖母の遺骨に、不気味な形で残る金属の塊を見つめ、複雑な想いを馳せた。
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