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他人を優先する自分を労おう

長く私はこの課題と向き合ってきています。

自分よりも他人を優先する。
それはとても良いことと思います。
誰よりも周りを見ていて、率先して助けることができるのは、内面にある優しい気持ちの表れかと思います。

ただ、やり過ぎるとちょっと危険だったりします。


やりすぎは心を枯らす

私も社会人になってから、その傾向が強くなりました。
奥底に、いつもの「嫌われたくない」や「褒めてもらいたい」があるものと思います。

だから、とにかく気を遣いまくっては、ニコニコしています。

すると、突然どこかで心が虚しくなるのです。
それが何なのか、分かっているようで分かりませんでした。

今回、なんとなくですが、この記事からその意味に気づけたように思いました。


気づかせてくれたのは、この一文でした。

自分を犠牲にして人を優先し続けていると、沸々と怒りが溜まっていきます。
ヨガジャーナルより

確かに自分はかなり自分を犠牲にしていると思います。

仕事上、子どもたちのやる気が出るように励ましますし、自分<子どもたちの毎日です。

なのに、そんなに頑張った自分を褒めません。
仕事だし、当たり前と思っているから。

あとはとにかく自分に指摘の声がかからないよう、内心ビクビクしていることも要因の一つかもしれません。

自分は別に犠牲にしているとも思っていませんし、それで満足しています。
だけど深層心理なんですかね。どこかで「報われてない!」とか「大切にされていない!」と思う部分があって、それが爆発して、心が枯れる・・。

どうも、これが原因のようです。

言われてみると、確かに自分は誰かのために尽くしている。
仕事とはいえ、尽くしすぎるほど尽くしている。
だけどそれに対してなーんにもしない。お疲れ様の一言も言わない。

それでは心が満たされませんし、そんな満たされない心が怒りに変わっても仕方ないと理解しました。


ちょっとだけ自分を強く出してみる

そこまで人のために優しくするならば、自分にも優しくあるべきと思うことにしました。

例えば、自分の意見や考えを出す。

いつも誰かを優先してるから、「私はこうする」と言うことで、人と人との関係もwin-winでバランスが取れるように感じます。

これまでは依頼されても忙しくて断ったら、仕事を失うのでは?と思っていましたが、キャパ以上になるまでやって、無理でしたーの方が問題ですし、人はそこまで他人に頼ってもいないんだと思うようになりました。

断っても、自分に対する評価はさほど変わりません。
評価に影響するなんてのも勝手な思い込みであり、自分ルールだと思いました。


それでも私の性格は誰かのために動きたいのです。

ならば、やはり誰かのために頑張っている自分を労う言葉がなければいけない。

そこでこの記事に出会いました。

「幸せ」「ありがとう」を言う

やっぱり、子どもであろうと大人であろうと、褒めることが絶対必要なんですね。

そして一つ一つ起こることに対しての感謝の気持ちも大切。

忘れがちなことを教えてもらいました。

その日から少しずつ、「私は幸せ、幸せ」と何度も言うようにしました。
まだ効果は大きく目に見えてませんが、なんとなく心が温かくなるような気がしました

仏教の教えにも感謝の大切さがありますが、つい叶わないことへの不満ばかりになると、そればかり引き寄せてしまいます。

それを断ち切るためにも、まずは生きていること、今ここにいることへの感謝。大切な人への感謝、関わりのある人への感謝など、自分の周りにあるもの全てに感謝する気持ちを忘れちゃダメだと思いました。


まとめると

・自分を尊重する
・他人を優先したら自分も優先する権利がある
・断っても人はそれほど悲しくは思わない
・感謝の気持ちを忘れない

どうしても上手くいかないと、現状を嘆いたり恨んだりしますので、まずはそんな自分を労い、よく頑張ってるじゃないか、と言ってあげることにします。

そして、満足いかなくてもそれはそれ、と割り切り、今という瞬間に感謝すればきっとこの先うまく行けるような気がします。

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