"発達障害" の診断と障害受容、配慮申請をしてみて思ったこと、を書きたいけどうまく書けないまま1年以上が過ぎた(1)


ADHDの薬を飲んでみることになりました。
でも、なんだかとってもモヤモヤしている。
"これまで薄々気づきながらもおおっぴらには発信してこなかった障害の受容"

"障害という名前がつかなくても、みんなが得手/不得手を開示して助け合える社会の希求"
とのはざまで悩んでいます。

日記, 2021.01.05


23歳の冬、調子を大きく崩して病棟実習に支障をきたし、
「ADHD」の診断をもらった。


もともと「忘れっぽい遅刻魔」を生きてきた。巷にあふれる「ADHDの特徴」にはかなり当てはまる。
大学進学を機にひとり暮らしを始めて以後、何度も概日リズムを崩して講義を休むことがあったが、出席率はなんとか足りていた。
googleカレンダーやapple watchを使って細かく管理できていれば、ギリギリ生活に支障を出さずに生きることができる。借金玉さんの本を親に勧められ、少し生活が改善した。

精神科実習中、WAISの結果分析の本を借りたい、と心理士さんにお願いした。自分の結果を分析すると勉強になるよ、とWAISを取ってくれた。
予想通り、「グレーゾーン」らしい結果が出た。群指数間のディスクレパンシーは30程度あれど、100以下の指数はない。
私が医師なら、発達障害の診断は出さないかもな、と、そのときは思った。


それから季節が変わって、どんどん欠席数が増えていった。「大学に行かなきゃ」とは思うけど、身体が動かない。
とうとう、その科の指導医から一言…
「この出席率では単位が出せない。けれど、実習に来れてる日は、やる気がない態度には見えない。困ってるんだったら精神科受診してみたら?」

そうかあ…と思って精神科にかかり、困ってることを話し(ついでにWAISの点数も伝えて)、ADHDの薬を試してみることになった。
アトモキセチンは合わなかったのでメチルフェニデートを出してもらい、睡眠薬も使って、なんとか落第なく病棟実習を終えることができた。

自分自身の精神科受診は勉強になる。
知能検査は、数字だけで判断するわけではないそうだ。
現在の環境での要求水準を満たすのに困難があり、治療を必要とする状況にあるのならば、診断をつけられるらしい。


また、物音の多い環境で人の話し声を聞き分けるのに困難があり、実習科が切り替わるたびに指導医に「とても朝が弱くて、来られないときがあるかもしれない、治療中です」「話しかけるときは壁のある個室に入ってほしい、ナースステーションでは聞き取ることが難しいです」とお願いした。


「声が聞き取りにくいんです」とは言ったが、
「発達障害で」とは  あえて言わないようにしていた。

なぜなら、
「発達障害」という名前をもらった23歳以降のわたしと、
「忘れっぽい遅刻魔」をやっていた23歳以前のわたしの苦悩は、
あきらかに連続なものだと思っていたからだ。



人間みな「苦手」を持っていて、さまざまな場面で人やガジェットに助けてもらいながら生きている。
「障害」という名前を貰わないと、生活をなめらかにするための工夫を認めてもらうことができないのだろうか。

「これは苦手だから、代わりにこうしてほしい」と具体的にお願いしたらいい。そのお願いで業務に支障をきたすのであれば、折衷案や他の方法を考え出す必要がある。
「発達障害」という名前があれば配慮が通って、「未診断」ならば配慮が通らない、そんな世界に生きていたくはない。
ささやかな抵抗。


だが、医師国家試験の受験においては、そうはいかなかった。


(つづく)


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