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おたねさんちの童話集「ネキルの自転車旅行」

ネキルの自転車旅行
 
 キツネのネキルが、急に自転車旅行を思いついたのは、去年カメラを買ったからでした。ファインダーを覗きながら、森のあちらこちらを歩いていると、マンネリ化した日常がなぜか輝いて見える気がしたのです。
 目指すは南西数十キロにある美しい湖。キツネのネキルは、朝食を食べると、その辺の荷物を鞄に詰め込んで、大きく一呼吸しました。
「さあ出発だ!」
 朝焼けの光を背に、自転車のペダルを蹴って走り出しました。
 でも……とネキルは首を傾げました。景色を楽しもうとカメラを鞄に詰めたはずなのに、いつのまにか、心に散らかっていた、かたづけないままのガラクタが、浮かんでは消え、浮かんでは消えして、なんだか、思考を続けるためにひたすら走り続けているような気分です。
  ツネオルが警察に捕まったという話を聞いたのは、先週のことでした。小さい頃、ネキルにとって、ツネオルは一番の友達でした。でも、大きくなるにつれて、ツネオルは悪い友達とばかり遊ぶようになったのです。だから、いつかはそんな日がくるかもしれないことを、ネキルは心のどこかで知っていました。
「本当は、僕が止めないといけなかったのに……」
 ネキルは小さいころのことを思い出していました。ある日、近所のオバさんが、「みんな一つずつだよ」と言っておやつを配ってくれました。
 そのおやつがみんな同じおやつだったら問題なかったはずでしたが、いろんな種類が入っていたのでした。ネキルはヨモギダンゴをもらいました。でも、ネキルはヨモギがきらいだったのです。ネキルは、こそこそとヨモギダンゴを草むらにすてました。そして、すぐにみんなのところへ戻りました。そのとき、偶然オバさんと目が合いました。
「おやおや、ネキルくんには、おやつを渡していなかったね」
ネキルは、草むらに捨てたとは言えなかったので、黙っておやつを受け取りました。
 その時、誰かの声が聞こえました。
「ネキルだけズルイ!ネキルのヤツ、二つも貰ってる!」
ネキルの顔が真っ赤になりました。どうしたらいいか分からず、銅像のように固まってまま動かない時間がすぎました。
「ネキルがそんなことする訳ないだろ!」
ツネオルの声でした。
そしてツネオルの言葉に、みんな、そうだそうだと頷いたのでした。
だから、ツネオルが悪い友達と遊ぶようになったとき、本当は僕が止めなきゃいけなかったんだ。
 ふと気がつくと、腕にしていたはずの時計がありません。どうやら、忘れてきたようです。時計がないと思うと急に時間が気になり出しました。でも同時に出発してから一度も時間を気にしていなかった事に、ネキルはもっと驚いたのでした。そしてお腹がすいていたことに気がつきました。
「このあたりで休憩するか」
ネキルは、自転車をとめると、リュックからおにぎりを取り出しました。ちょうど見晴らしの良い場所についたのです。野原の向こうに小川が見えました。
「小さな頃は、よく魚釣りに行ったっけ」
 ネキルはおにぎりを食べ終えると、小川の水をゴクゴクと飲みました。沢ガニがびっくりして、岩に隠れるのが見えました。
 ネキルはカメラをもって、ファインダーをのぞき込みました。そしてキラキラを光る水面の下を泳ぐ小魚の写真を撮りました。
「よし、行こう!」
ネキルはまた湖を目指して自転車をこぎ出しました。
でも、しばらく行くと、ネキルは自転車を降りました。上り坂にさしかかったのでした。ネキルは自転車を押しながらゆっくりと歩いていきました。
 小さな頃、兄弟で山登りをしたことを思い出しました。どんな会話をしたのかも、どんな景色だったのかも、なかなか思い出すことはでいないけれど、楽しかったことだけは、心の隅に残っています。
ネキルはハアハアと息を切らしながら上り坂を上っていきました。
「わあ、すごい!」
峠を越えると、急に視界が広がりました。美しい緑に細い一本の川が流れ、その向こうに小さく、目指す湖が見えました。
「もうすぐだ!」
ネキルは、峠からの景色をカメラに映し入れると、自転車に飛び乗りました。漕ぐ必要はありません。ジェットコースターのように、ぐんぐんと加速しながら何百メートル、いや何千メートルと、風を切っていきました。
「こんなの初めてだ!」
ネキルは、飛び跳ねる自転車のハンドルを必死で抑えながら、猛スピードで坂を下りました。
 やがて、目的地の湖に到着しました。湖は美しい女性のように美しくたたずんで、ネキルに微笑みかけてくるようです。
「ごめんなさい」と言われたのは、もう二ヶ月も前の事でした。その子は、嬉しいのか困っているのか分からないような顔をして、違う女性の名前を口にしました。ネキルは、滲んだ一番星を見ながら、あの日、とぼとぼと家へ帰ったのです。
 どうして、湖を見ただけで、そんなことを思い出すのでしょう。ネキルは急に腹立たしいような気持ちになって、湖を後にする事に決めました・
「まあいいや」
ネキルは、それでも、湖の写真を数枚撮ってから小さく呟きました。
帰り道は、いきなり上り坂からはじまりました。その上り坂を無理矢理上ろうとしたその時です。
「あれれれれ!?」
どうやら、自転車がパンクしたようでした。
ネキルはあきらめて、上り坂をゆっくりと歩いていきました。
ジェットコースターのように風を切って疾走したときは、あれほど短く感じた距離は、とてつもなく長い距離に思えました。それでも、ネキルは黙々と歩き続けます。峠から見える夕日がとても綺麗でした。
一番星が見えました。やっぱりあの時と同じように滲んで見えました。だんだんと風が冷たくなってきました。もうほとんど太陽が見えません。今日は月も出ていないようでした。空は星が輝いていましたが、暗闇がこれほどまでに暗いことを、ネキルは今日、生まれて初めてしりました。
ネキルは、リュックから、懐中電灯を取り出しました。まさか本当に使うとは思っていなかったのですが、念のために持ってきて良かったと思いました。小さな懐中電灯と自転車のハンドルを押さえ込むように握りしめて、ネキルは暗闇の中、下り坂を慎重に歩いていきました。僅かに震えているのは、寒いからです。決して怖いからではありません。ネキルは自分で自分にそう言い聞かせながら、ゆっくりと歩きました。北の方にカシオペア座がうっすらと輝いていました。
 やがて、東の空がだんだんと明るくなってきました。ネキルは懐中電灯をリュックにしまいました。ネキルは朝焼けの写真を撮り終えると、少し安心して、岩の上に腰をおろしました。
「ネキル!ネキル!」
大好きだったおばあちゃんの声が聞こえました。
「あれ?どうしてお祖母ちゃんがいるの?」
ネキルはそこで、目が覚めました。どうやら、僅かな間でしたが、夢をみたようでした。ネキルはまた、歩き出しました。
小さな町につきました。町のあちらこちらで、店員さんが店を開ける準備をしてました。自転車屋さんもありました。
ネキルはそこで、自転車のパンクを直してもらいました。
「おい坊主!今度は、パンクの修理くらい自分で出来るようになってから自転車旅行をするんだぞ!」
店の親父さんはそう怒鳴りながら、ネキルにパンク修理の方法を教えてくれました。
「さあ!家はもうすぐだ」
ネキルは、朝の風をうけて、また自転車をこぎ出しました。おしまい。

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