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「おふでさきの物語」 第七章 その1

第七章
 
 神様がこの世界に舞い降りて三十八年の月日が流れました。なぜその日かというと「元のいんねん」があったからです。その「元のいんねん」があるので神様はずっと今まで伝えたいさまざまなことを、その日まで待ち続けていたのです。
 でも世界を治めている上流社会に住む人々は、まったくそのことを理解しないで、ことの重大さを何も分かっていません。この「元なるぢば」に鎮まる神様の心には世界の始まりもその他どのようなことであっても、知らないということはありません。上流社会に住むような人たちにも、早くこの真実を伝えたいと神様は思っているのですが、人々はそのようなこともしらないで、自分勝手な考え方ばかりとしています。神様は人々の行く末を眺めていると、やがて來る恐ろしい、危険な道が見えているのです。そのことを神様はしっかりと人々に伝えたちと思って心配をしているのです。それはちょうど人間たちが自分の子供の将来を心配するのと同じことなのです。このまま行くと将来大変ことになる、危ないことになると心配するのとまったく同じことなのです。
 しかし、世界中の人間たちは、神様の心をまったく理解しようとせずに、日々をうかうかと暮らしています。この世界中、どのようなことであってもすべて一切のことを、この神様が治めているということをしっかりと考えて欲しいのです。この話がどれほど大切なことかというと、これから先の将来をしっかりと見ていればよく分かることなのです。人々は社会的に地位が向上すれば幸せになれるとかお金持ちになれば幸せになれるとか考えていますが、どんなに栄華を築いても一瞬にして不幸のどん底へ転落することもあれば、底辺の暮らしをしていても、幸せにくられることもあるのです。でもようなことも神様の摂理によって決まるのですから、他人を見てうらやましく思ったり、ちょっとしたことで他人と比べるような事をしてはならないのです。
  これまでもずっと、神様の理想社会建設のための人材を確保しようとしてさまざまな所へ赴いて探してきました。今回、社会の底辺に住む人々の中に人材となりえる人々が大勢見つかったのです。この人材をしっかりと神様が育てたならば、きっとやがてはこの道を支える立派な柱となることでしょう。これらの人々に続く人々を見定めて、道の将来をになる人々にしていきたいのです。そうして心の曲がったような人材手あっても、まっすぐな心へと導こうと思うのです。様々な人材を集めたいという神様の心はとても深いものがあります。ですから、同じ場所からでも二人、三人とみつかることもあります。そうしてのそ人材に男女の別はありません。どのような人材にも神様の深い考えがあるからです。
 今から話す話は、この道を担う人材についての話です。その人材というのも決して少ない人数ではありません、ざっと見積もっても五十、六十は下らないほどの人材が欲しいのです。そうしてその人材はどんなに時間が流れようとも、決して減らすようなことがあってはならないのです。永遠にその人材が途絶えてはなりません。これだけ深い思惑があるのに、世界中の人々はどうして理解できないのでしょうか。神様が何度も繰り返し話をするのはそれだけ世界中の人々を救いあげたいからです。世界中の人々が心の底からこの真実を理解したなら、きっとそれからはこの神様がさまざまなことに働きかけて世界中のものを救いあげていくことでしょう。できるだけ早く、人々に神様の素晴らしさ、働きをしっかりと見せるために神様の心はこんなにも急いているのです。神様の心がこんなにも急いているからこそ、人々の心の掃除を促しているのです。この話は決して他人事ではありません。すべて世界中の人々すべての人間の心の中の話なのです。

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