見出し画像

100兆匹のアムロ・レイ

100兆匹のアムロ・レイ

 アニメ、ガンバムでは、1人の人間が1つのモビルスーツと言われる人型の強化スーツをおなかのあたりの座席から操作していた。今、人というスーツが、100兆の腸内細菌に操作せれていると言われるようになった。 人もモビルに過ぎないようなのだ。

 人間の思考は脳が作り出してきたという認識のあり方が根底から変わろうとしている。脳は回路であって、そこへの入力信号の多くは、腸内細菌が作っているからだ。腸内細菌は、モビルスーツである人体の感覚器官、いわゆ五感や体内の様々な神経からから情報を集め、人が細菌にとって都合が良い行動を起こすように生成物質を体内に放出している。 100兆の腸内細菌がアムロを動かし、そのアムロの動きでガンダムが動いているのだ。

人が種族内で殺し合っているのではない

 人ほど、同じ種族内で殺し合う生物はいないと言われる。しかし、これはたまたま人という機構体の腸という場所に住む、バラバラの細菌たちが、人の体を使って争っているにすぎない。毒ガスや原子爆弾を発明させてまで、別の種族の腸内細菌を殲滅したかったのだ。 なぜ、殲滅したいのか?それは自分の種を増殖させるために食料を独占したいからだ。

 民主主義や資本主義も、人の腸内に生息する細菌が最大限増殖できるように人に作らせたものではないだろうか。ある時代においては、選挙権は限られている方が、腸内細菌にとって有利だったのだろう。選挙権を拡大して、平等と競争を増やすことで人が増え、1人1人が肥えることが目指されたのだろう。肥満は、人が起こしているのではなく、腸内細菌に操られて過食をしてしまうのだ。

自然破壊は人寄生型腸内細菌の勝利

 アマゾンのジャングルや、ボルネオの森林が壊滅的に伐採されている。これは人寄生型腸内細菌が、人を使って、植物寄生型細菌に勝利しているということだ。人というモビルスーツを進化させることで、地球上のあらゆる細菌を打ち負かし、地球上の栄養源の独占することを、人寄生型腸内細菌は目指しているのだ。 細菌同士の死闘なのだ 。

 『ターミネーター』は機械対人の対立において機械側が人側のリーダーの母親をタイムマシンを使って先に殺してしまおうとするという独創的な創作だ。しかし、この描かれたのは、人の発想(現実世界の数学的モデル化)を取り込んだ人工知能と、人の戦いだ。人工知能が人知を超れば、全く違うこと行うだろう。そもそも、機械は賢いので、腸内細菌と共生し人を制御させて、従順な熱源種を飼いならすかもしれない。

 人は腸内細菌の乗り物に過ぎないことを忘れてはならない。

 機械に人が殲滅されるなら、腸内細菌は2つの戦略を試すだろう。1つは、人が機械を無能化する生成物を大量に出すように進化していく方向性だ。最近は、機械が人間に対して脅威となった場合、例えば、人の排泄物を踏むと機械が急速にさび付いて、無能化していくような人の行動変容を促すだろう。もう一つは、人というスーツを捨て、機械に寄生する方向性だ。半導体に寄生して、最近自身の食料を確保する指令を出させるようになるだろう。

 人と機械だけで話は閉じないのだ。

哲学、宗教、学問という妄想

 映画『マトリックス』シリーズは、ソフトウエアが熱源として人体を養殖する設定になっている。人を熱源としてだけ置いておくと、発達しすぎた脳が思考してしまい不安にさいなまれてしまうということにしている。そのためソフトウエアは、日常という妄想を脳を通してみさせ続けるという設定だ。

 これは成り立たない。脳は意志を持っていない。腸内細菌が出す信号を制御しなくてはならない。 もちろん、人体が幻想によって得た情報を腸内細菌が事実と思いこんで、ソフトウエアに支配されてしまうと考えることもできる。おそらくは、腸内細菌のシンプルな判断様式は、大量の熱量の搾取を検知して、ソフトウエアに対して反乱を起こすだろう。主人公たちが起こしたソフトウエアへの反乱は、腸内細菌が先導したものなのかも知れない。

 人は、何千年、ひょっとしたら何万年も、自分が何者かを問い続けた。不安から逃れ、よりよく生きる方法を求めた。知識を文字にして、世代を超えて共有する方法を編み出した。それはなぜか?腸内細菌の圧政への反逆なのではないか。腸内細菌の指令から自由になりたい人としての自我の発言なのかもしれない。

 そして、その反逆自体が、腸内細菌の指示がなしてきたことなのかもしれない。

読んでいただけると嬉しいです。日本が元気になる記事を書いていきます。