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狭量
2023.06.29
911
中高の学校図書館にあったら楽しそうな911、
— なお@かみねこさん🐾 (@kamineko0817) June 29, 2023
MdNから出てる
仁尾智「いまから猫の話をします」
とか
ナナロク社の
岡本真帆「水上バス浅草行き」
おすすめです〜
学校司書のフォロワーさんにも薦めたことあるよ
唐突に「911」ってなんだろう……とググったら、日本十進分類法という図書分類法において「詩歌」を表す区分らしい。
世界は知らないことだらけだけど、知ることができる時間は限られているから、知りたいことを、知っていきたい。
挽歌集のこと
相変わらず日々猫の挽歌集のことを考えている。
先日、後藤グミと辻くんと話していて、明確になったのは(ぼんやりと思っていたことは、ひとに話すと明確になることが多い気がする)「猫の挽歌は、自分が自分のために作った短歌である」ということだ。
前にも書いているかも知れないけれど、「短歌に書き起こすこと」って、それ自体になんらの効果がある、と思っている。自分が置かれている状態を、少し引いた目で見られる、というか、短歌にする作業の中で、一度自分から切り離せるというか。……で、短歌になったものは、自分の生々しいしんどさから少しだけ距離をとったものになるから、それも外から眺められて、うーん、うまく言えないんだけど、第三者的な視点になれるような気がしている。
岡野大嗣さん監修のこの本とか、短歌に書き起こすこと自体の効果が如実な例だと思う。
僕はうつ病のときに、カウンセリングを受けていたんだけど、しんどい状況を短歌に書き起こすことは、カウンセリングに似ているな、と思うのだ。
挽歌集もそうなのだ。しんどくてたまらないときに短歌ができる、というか、できてしまう。それ自体が「グリーフケア」的な効果があるのだと思う。
そういうふうに自分が持ちこたえるためにできた短歌の数々を、本の形にすれば、もしかしたらそれを読んで、同じように「救われる」(……というと、何かちょっと大げさな気がするな……)いや「楽になる」ひとがいるのでは、などと思ってしまう。
でも、だからこそ「僕自身が楽になるために作った短歌を集めた本」みたいなことは言っておきたい気持ちが強い。
でも、仮に自分が読者で、こう書かれたら「知らんがな! そんなもんは自分の日記帳にでも書いとけや!」(ネガティブな独り言は関西弁になっていることに、最近気づきました)って思っちゃうんだよね……。
でも「そういう僕がこう書くんだから、むしろ大丈夫だよ。独りよがりなものになってるわけないじゃん」とも思う。
まあ、ぐじゃぐじゃと考えているんだけど、結果としてできた本は、「え? あの悩みは一体何だったの?」みたいになることもわかってるんだ……。
タイ
タイで独自の進化を遂げたたこ焼き。すげえうまい。 pic.twitter.com/dkViZScpSl
— しおひがり (@shiohigari114) June 28, 2023
タイ、いいなー。
あきらかにしょーもないひとのは論外として、なんというか……「ちょっと聞いて、きょうね……」みたいな、なんだろう「言いつける」みたいなトーンのツイートが嫌い。あと、その内容が正当なことであっても、「注意喚起」を装った同情や同意を求める感じのツイートも嫌いだな……。
僕は、とにかく狭量なんだと思う。
222
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222日連続投稿らしい。実際は、もう少し続いていると思うけれど、どこかで日付が変わってからの更新になっちゃったんだと思う。
この連続記録を途切れさせないTipsとして日付が変わる前に一度「後で書きます」みたいに仮投稿しておいて、あとで編集することを覚えた。それにどういう意味があるのかわからないが。
そんなそんな。