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最後の運

2022.04.29

きょうは月に2回の麻雀日。
1→4位の順に4-3-3-1。+125。ラスが1回だけだったのはよかった。
基本的には、ラスを引かない=振り込まない麻雀を心がければ、よほどじゃない限りは、割とスコアがいい感じにまとまる印象。
初回から3連続トップで「きょうはいけそう?」と思ったけれど、そんな甘くなかった。

『猫のいる家に帰りたい』台湾版

Instagramで「#有貓的日子才叫生活」を検索してみると、台湾版を読んでくれた人が紹介してくれたりしていて、おもしろい。
結構長文で紹介いただいているポストがあって、グーグル翻訳を使って、翻訳してもらった。
ちょっと引用させてもらっていいだろうか。いいよね。

犬派なんだけど『猫のいる〜』を読んで、ご自身の性格が「猫」っぽいかも、と思った、ってことだろうか。
「希望暫時收養的小貓,能有個不會再想起我家的幸福未來」は多分「もらわれていった子猫にこの家を思い出さない未来を望む」のことだな。グーグル翻訳は優秀。
これは多分本の中の「自分は筒である」みたいなことへの言及だと思う。

死について

ドラマ「未来への10カウント」で、木村拓哉演じる主人公が「いつ死んでもいい、今日でもいい」って言うシーンがあるんだけど、そう言えば、僕もそうだな……と思いながら観ていた。
……とは言え、僕のそれは、ドラマほど自暴自棄でも深刻でも悲観的でもなくて、死ぬまでに絶対やりたいこと、みたいなものが、もうあまりないのだ。執着が薄い。
だからといって、いますごく満ち足りている、というのともちょっと違って、強いて言えば「死にたくないと思う理由がない」というのが、しっくりくる。
以前はもう少し前向き(?)に「死にたい」(というか生きるのがしんどい)みたいなことを考えていたけど、いまは、もっと受動的に、流れに身を任せた感じで「じきに死ぬんだな。いつでもいいな。今日でもいいな」と淡々と思っている。
両親が亡くなったことが大きい気がする。
我が家は、親戚づきあいがほぼ皆無だったので、親族の葬式などにも参列したことがなかった。つまり「死」をあまりイメージできていなかったのが、両親の死によって、リアリティーを持った、というか。
周りに迷惑のかからない死に方がいいな、と思うけど、両親の様子を見て「死は選べないんだな」とも感じたので、こればかりは最後の「運まかせ」なのかもしれない。

《僕は死ぬ 順序よく死ぬ 猫たちを看取って妻に看取られて死ぬ》


そんなそんな。