はなびらのかたちの耳はその猫のそばのやさしい誰かのしるし

最初に耳の先が欠けている猫を見たのは、いつ頃だっただろうか。

どこかの公園で見かけた黒猫だったような記憶がある。その頃はまだ何も知らなくて「猫同士のケンカで耳が切れてしまったのだろうか?」なんて思っていた。「それにしてはきれいに欠けているな」とは思わなかったし、その公園にいる他の猫も同じように耳の先が欠けていることにも気づいていなかった。

「不幸な猫が増えないように、のら猫に去勢避妊手術を施し、手術済みの印として、耳の先をカットする」というルール(?)を知ったのは、その少し後のことだ。本からだったか、ネット上の情報からだったか、覚えていないけれど(あの公園の猫は、そういうことか......)と、思ったことを覚えている。

そして、さらにずっと後になって耳の先をカットした猫を「さくらねこ」と呼ぶことを知った。ああ、それはいいな、と思った。確かに桜の花びらに似ているし、名前があったほうが親しみやすい。

少しずつ「さくらねこ」のことを知る一方で「耳をカットするなんて痛そう」「去勢避妊なんて人間のエゴでかわいそう」という声を聞くこともある。いやいやいやいや。去勢避妊手術の際、耳カットをお願いしたこともあるけど、麻酔中に行われるし、痛みだってもちろんない(......と思う。僕が手術されたわけじゃないから断言はできない)。

それに何の目印もなくリリースされて、また不必要に捕まえられちゃうほうがずっとかわいそうだ。しかもさくらねこは、その地域で管理されている猫(=地域猫)と見なされ、殺処分されたりせずに、一代限りの一生をまっとうできるのだ。かわいそうどころか、猫のための、猫にやさしい、すてきなルールだと思う。

完全室内飼いの猫と暮らしている僕としては、外で猫に出くわすと、複雑な気持ちになる。外猫の生活は過酷だ。
「ちゃんと食べられているだろうか」「暑くも寒くもない安全な寝場所はあるだろうか」「けがや病気はないだろうか」......。猫にしてみれば、大きなお世話だろうけれど、とにかくいろいろ心配になる。

でも、その猫がさくらねこだと、少しだけ安心するのだ。(気にかけてもらっているのだな)と思える。さくらねこのそばには、心ある「誰か」を感じる。さくらねこの存在とその意味を知ってから、あらためて街で見かける猫を観察するくせがついた。

そして、気づくのだ。
意外と、さくらねこは、いっぱいいる。
つまり、意外と、心ある誰かは、いっぱいいる。

そんなそんな。