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みいや

2022.03.27

きょうは月に2回の麻雀日。
成績は1位から3-4-2-3。+22。中途半端に「えいやっ」って捨てた牌が当たったり、逆におりているつもりで捨てた牌で当たったり、なんか振り込みが多い日だった。プラスで終われたので、まあ、よし。

タバコ

相変わらず夕食時に観るものがないと、Netflixの「孤独のグルメ」を観ている。まだ初期も初期の1シーズン目なんだけど、この頃(10年前)五郎さんは喫煙者だった。
最新のシーズン9では喫煙の描写がないから、どこかから禁煙したのかも知れない。妻と「いつから禁煙するんだろうね」と、本筋とは全然関係なところで盛り上がったりしている。
僕も、22年前までは喫煙者だった。
なぜこんなにもはっきり覚えているかと言うと、高校生の頃、拾ってきた猫「みいや」が亡くなったときに禁煙して、それから吸っていないからだ。「孤独のグルメ」の喫煙シーンを観ながら、そんなことを思い出し「そう言えば、みいやのことはエッセイに書いた気がする……」と探したらあった。
「俺、ずっと猫のことを書いているな……」と思いつつ、載せておきます。


「ばいばい」(00.01.16)

23時15分、電話が鳴った。
僕は23時30分にかかってくることになっていた電話を待っていた。
だから「やけに早いな」と、少し怪訝に思いながら受話器をあげた。

「もしもし」
電話の声は、僕が待っていた人のものではなく妹のものだった。
(何かあったんだ……)
妹の声を聞いたとき、とっさに思った。
妹が僕に電話をかけてくること自体、とても珍しいことだ。前にも一度、妹からこんな声の電話がかかってきて、よくないことを知らされたことがあった気がする。
「……今日ね、みいやが死んじゃったの」
抑揚のない声で妹がいった。

年末に帰省したときには元気に食べていた。
母親も「家族が揃って嬉しいのか、今日はよく食べるね」と言っていた。
僕が夜中に帰って冷蔵庫を開けると、ノソノソとやってくる。
答えるはずもないのに「ほんとに食うんだろうな?」などと話しかけながら、ネコ缶をよくほぐしてエサ入れに入れてやった。
みいやは驚くほど(といっても元気だった頃よりは全然少ないが)よく食べた。
僕は「それだけ食べられるなら、まだまだ平気だな」なんてのんきに考えていた。

先週末から体調が悪くなって、でもしきりに外に出たがったらしい。動物が死期を悟るというのは本当だと思う。

一人暮らしを始めて、もう10年以上になる。
だから、みいやが死んでしまったからと言って、僕の日常はなんら変わらずに流れていくだろう。
ただ「いることが当たり前の存在」が、いなくなった。
実家に帰り「みいや」と呼んでも、膝に乗ってくれるネコはいない。
そんな想像が「日常は変わらなくても、眼に見えない何かが型で抜かれたようにクッキリと抜け落ちてしまったこと」を自覚させた。

僕は電話を切ったあと、新品のタバコの箱を雑巾を絞るようにねじって、ゴミ箱に捨てた。
意味なんてない。
でも、今日を境に何かをしたいと思った。
そんなものは忌み嫌うべきひとりよがりな感傷にすぎないとわかっているけれども、それでも何かをしたいと思った。

だから、もうタバコは吸わない。

ばいばい。


『三十一筆箋 −猫猫−』のこと

予約販売、売れているのだろうか……。

いわのこと

昨日、体調不良で病院に行って採血を拒否したいわ。昨日の治療で、食欲も戻って、ちゃんと食べているし、吐くこともなかった。ちょっとホッとした。……とは言え、昨日の治療で改善したということは、腎臓が原因である可能性が高くて、また同じように食べなくなったら、また同じ治療をする、ということになるみたいだ。

そんなそんな。